今日は「被造物を大切にする世界祈願日」にあたっています。この祈願日は10年前に教皇フランシスコが制定したものです。今年教皇レオ14世は、被造物保護はこれまでになく重要かつ急務の課題である、と述べつつ、今年の同祈願日のテーマ、「平和と希望の種」を示されました。教皇はアッシジの聖フランシスコが800年前に作った「太陽の賛歌」の精神のうちに、神を賛美し、その賜物を損なわず、わたしたちの「ともに暮らす家」を大切にする務めを新たにしようとアピールされました。

 今日の福音で、イエスはエルサレムに向かう旅の途中で、弟子になって自分についてきたい人は、よくよく考えて決断しなければならない、肉親や自分のいのちさえ捨てる覚悟がいることを話しています。塔を建てようとする人が土台しか完成しなければ、人からあざけられると言っているところで、わたしは自分が司祭に叙階される一年前に亡くなった兄のことを思い出しました。もう60年も前のことになります。名古屋に住んでいたわたしの姉のところで家を建てる計画をしていて、敷地にコンクリートの土台を造った段階で、兄の胃がんが分かり入院しました。家の建築は中止してしまいました。この兄は病院で、自分の葬式は「弟の宗教(カトリック)でやって欲しい」と希望し、姉がたまたま知り合った、女子パウロ会のシスターにお願いして病院に通ってもらい、兄は亡くなる前に名古屋教区の神父さんから洗礼を受けることができました。今はもうこの姉も亡くなり、兄のところに通ってくれたのは若いシスターでしたが、名前も分かりません。このシスターは自分の兄弟のように思って通ってくれたようです。

 9月5日は1997年に亡くなった聖マザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)の記念日でした。マタイ25章40節に(わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである)ということばがあります。このことばはまさにそのイエスのみことばの反映と言って良いでしょう。マザー・テレサは、もっとも貧しい人、病人の中に、キリストを見出しながら、神の愛の宣教者会としての働きを展開していったのでした。18世紀にイタリアで29歳の若さで亡くなったレデンプトール会の修道士聖ジェラルド・マイエラは、「ご聖体は見えないキリストであるように、貧しい人と病人は見えるキリストです」ということばを残しています。わたしたちはミサでキリストの体をいただき、その後でも小さい者の中でキリストに出会うことができます。何かの不自由を耐えている人、病人や苦しんでいる人はわたしたちの周りにたくさんいます。その人たちの中にいるキリストと出会うことはわたしたちの大切な努めです。イエスは自分の十字架を背負ってわたしに従いなさいと言われました。どうしても逃れられない自分の十字架があれば、それも持ってキリストに従うことができます。イエスが立派で強くなってわたしに従いなさいとは言わないで、自分の十字架を背負ってと言ってくれたことはありがたいことです。

 明日9月8日は聖母マリアの誕生日を祝います。マリア様が弱っている人、疲れた人、困っている人を大切にされたように、わたしたちがキリストのよい弟子になれるように取り次ぎを願いましょう。*(O)

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