復活節第2主日は、伝統的に「白衣の主日」とも呼ばれています。またこの日はもう一つの「神のいつくしみの主日」名称を持っています。教皇ヨハネ・パウロ二世は「神の愛のこもった寛容さ」が輝き出る復活節に、神のいつくしみをほめたたえるよう、この名を付けることを定められました。全教会と共に、神のいつくしみというテーマで今日の典礼全体を祈りましょう。
今日の第1朗読の使徒たちの宣教では、誕生したばかりの教会共同体の一致した姿を伝えています。イエスに従った使徒たちは、イエスの地上の生活と復活の証人としてキリストを宣言していました。使徒たちはイエスの復活を証しし、人々から非常に好意を持たれていました。初代教会の人たちの姿を見ると、♪いつくしみと、愛があれば、そこに神はおられる♪という典礼聖歌の歌詞を思い出します。わたしは今の世界が、自分さえ良ければいい、力のあるものが正しい、経済力が強ければいいと考えている人が多いところが根本的におかしいと思います。みんな地球家族の一員で仲間なのです。以前わたしは評論家・立花隆の書いたもので、多くの宇宙飛行士たちは地球に戻ってきたら、みんな人生観が変わっていたと書いていたことを思い出しました。宇宙から見たら地球に国境線など引かれていなく、みんな一つの家族に見えたみたいです。何かの問題を遠く距離を置いて眺めるなら大きく考えることができます。
今日の福音は復活の日の夜とそれから一週間後の夜のことが書かれています。イエスが弟子たちに現れてから八日後、復活された主を見たにもかかわらず、弟子たちはまた家の中にいて、「戸にはみな鍵がかけてあり」(参照ヨハネ20.26)、恐れのうちに過ごしていました。イエスが来られた時に唯一その場にいなかったトマスに、イエスの復活を信じてもらうこともできずにいました。イエスは同じ場所に戻り、前と同じように弟子たちの「真ん中に」立ち、「あなたたちに平和があるように」と同じ挨拶をされました。もう一度最初からやり直されたのです。弟子たちの中で、ひとりいじけていたトマスの復活は、このイエスの「誠実で忍耐強いいつくしみ」から始まりました。わたしたちが倒れても、神は疲れを知らずに手を差し伸べてくださる、ということの発見から、トマスの復活は始まりました。
神は、わたしたちをいつも助け起こしてくれます。転んでもまた立ち上がることを期待しています。イエスは弟子たちに、受難の際に自分を見捨てたことを責めるのではなく、「あなたがたに平和があるように」と言って現れ、トマスにも説教をしませんでした。彼にはご自分の傷に触れ確かめるように言いました。
みなさん、わたしたちはもろく弱いものです。でも神がいつくしみの神であるということは、たいへんありがたいことです。人間はいつも弱く、自分はいつもダメだと感じていても、神がいつくしみの神であることを考え、信頼の気持ちを持ちましょう。*(Ka)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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