みなさんが今夜の典礼で使っている『聖週間の典礼・会衆用』では聖木曜日「主の晩餐の夕べのミサ」が出ています。司祭が祭壇で使う儀式書の「聖週間の典礼」では聖木曜日にもう一つ、聖香油のミサが載っています。このミサは司教が司教区内から集まった司祭と共に共同司式して香油の聖別とその他の祝福を行う、司教と司祭の深い結びを示すしるしとなるミサです。聖木曜日は、ご聖体の制定と司祭職の制定を記念する二つの記念日になっています。

 札幌教区は受け持ち区域が広いので聖木曜日にではなく毎年、聖週間の火曜日に聖香油のミサを行っています。よその教区では聖木曜日の午前中に聖香油のミサが行われて、集まった司祭たちには、お昼にお祝いのご馳走がでていました。

 今日の福音の朗読箇所はヨハネ福音のイエスが弟子たちの足を洗った箇所でした。今日は最後の晩餐を記念するミサなので、共観福音書のイエスが弟子たちとともに過越の食事をしながら、パンとブドウ酒を聖別する箇所の方が相応しい感じがしますが、教会の典礼ではヨハネ福音書のイエスが腰をかがめて弟子たちの足を洗う場面が朗読されています。イエスは腰をかがめて弟子たちの足を洗い、そして彼らに別れを告げます。

 イエスの洗足という行為は、生涯を神にささげ、隣人へ奉仕してきたイエスの生き様を象徴します。この聖体の制定と弟子の洗足は全く関係がないように見えますが、互いに支え合うものです。共観福音書における聖体の制定は「わたしの体、あなた方のために」と主張され、パンとぶどう酒の中にキリストが存在し、人々のいのちの糧として自分をささげることです。「わたしの記念として」行ないなさいということはイエスの模範に倣い、相手を思いやり、他者のために奉仕することです。今夜の典礼では、わたしが車椅子で前屈みになることが出来ないので、洗足式は致しません。イエスが上着を脱ぎ、手拭いを腰にまとわれたことを考え、ご聖体をいただくわたしたちは、謙遜に他者に支える姿勢を持っているかどうかを考えましょう。ご聖体をいただくわたしたちが、自分を差し出す生き方をしていなければならないのです。

 わたしたちが、日常生活の中でお互いに足を洗い合うことができるかどうか考えて見ましょう。足を引っ張り合う方が得意な人もいるかもしれませんね。*(5)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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