待降節第3主日は伝統的に「喜びの主日」と言われています。今日のミサの祭服は、紫ではなくバラ色を使うことができます。今日の入祭唱は「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる。」で、集会祈願や第一朗読のイザヤの預言にも救いの喜びについて語られ第二朗読の使徒パウロのテサロニケの教会への手紙では、有名な「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」ということばが出てきます。聖書と典礼の解説には、〔新約聖書中、最も早く書かれたこの手紙の結びの一節である。信仰者の生き方への勧告を要約し、祈りへと続く〕と書かれています。この手紙は、パウロの二回目の伝道旅行の時に誕生した教会で、その後、テサロニケの教会が困難の中にあると聞いて、彼らを励ますためにこの手紙を書き送りました。この手紙には三つの勧めが書かれています。①「いつも喜んでいなさい」、②「絶えず祈りなさい」、③「すべてのことについて感謝しなさい」これは、わたしたちに対しても神さまが望んでおられる大事なことです。しかし、「いつも喜んでいなさい」と言われても、素直に喜べないこともあります。

 わたしたちの喜びの根底に神さまがある時に、いつも喜んでいることができます。何か嬉しいことがあった、美味しい物を食べた。何かを手に入れたなどのことは、わたしたちに一時的な喜びを与えてくれます。たくさんのしあわせは一時的なことで、それが実現すればすぐに消えてしまいます。しかし消えないしあわせがあります。神さまを知ることです。神さまはイエス・キリストを遣わしてくださりわたしたちに永遠のいのちを与えてくださいました。そして、神さまとのつながりのために②たえず祈りなさい。と勧められています。神さまとのつながりが深まればもっと深く考えることができます。③そして、すべてのことに感謝することができます。

 パウロが勧めている「喜び」「祈り」「感謝」はそれぞれお互いに関係していることです。祈ることは神さまと交わることです。感謝することは神さまに感謝することです。わたしたちには理解できないようなことも、神さまはわたしたちの思いを超えてすべてを益としてくださいます(ローマ8.28)。祈りが感謝と喜びを生み出していきます。

 今年も残り少なくなり、なんとなく気ぜわしいです。わたしは先日、部分入れ歯の前歯が欠けてしまい、クリスマスまでには治さなければみっともないと焦ってしまいました。翌日、歯医者さんに予約をとって、車椅子のまま乗れる福祉タクシーを予約してドタバタしてその日の夕方、どうにか入れ歯が治りました。そして夜になって考えたら、クリスマスにマスクしてミサをしていたらよかったのだと気づきました。入れ歯が壊れた時に、神さまに祈って感謝しなかったから、慌てた一日を過ごしてしまったことに気づきました。この日は旭川に一日で41センチの積雪があった寒い日でした。*(O)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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