今日から典礼における新しい一年が始まります。カトリック教会の暦は、主の降誕を準備する期間「待降節」から始まります。今日はその待降節第1主日です。また12月3日は日本に初めてキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルの祝日にも当たっています。待降節は日曜日が4回ありそれぞれテーマが決まっています。今日の第1主日は目を覚まして待つ、第二主日は、主の道を整える。第三主日は、主は近い、喜べ。第4主日は、みことばは人となった。です。今日のマルコ福音書には、目を覚ますという言葉が4回使われています。聖書と典礼の解説には、「待降節とは神の到来を待ち望む季節であり、その到来に向かって生きる態度が、「目を覚ましている」ことである。」と解説されています。

 先日、二日間にわたって、NHK総合テレビで夜7時からのニュースの後に、気候変動によって起こっている地球沸騰化によって故郷を離れる気候難民の現状を紹介する番組が放送されていました。このまま地球温暖化が進めばどうなるかというたいへん重いテーマの番組でした。わたしはこの時間、他局ではどんな番組をしていたかをチェクしました。そうしたら、大食いや料理の番組などの気楽な番組ばかりでした。地球のことを考えて本当に目を覚ましていなければならないときに、みんな眠っていると感じました。
いま中東のアラブ首長国連邦(UAE)のドバイで、5年ごとに開催されるCOP28(国連気候変動枠組み条約第28回締約国会議)が開催されています。日本の岸田首相も参加したようです。地球温暖化の影響を受けている国々は、いつでも先進国のことを責めていますが、わたしはオイルマネーで豊かな暮らしをしている産油国こそ大きな責任を感じて欲しいと思います。地球みんなの資源なのに、砂漠に高層建築のビル群を立ち上げて、自分たちだけが桁外れの贅沢な暮らしをしているからです。環境問題は戦争や紛争と同じように簡単には解決しない問題だと思います。人類が目を覚まさなければならない大きな課題です。

 わたしは数日前、おかしな夢を見ました。自分が死ぬ日に、一緒のお墓に入る人を、わたしが選んでいる夢でした。時間がないから大急ぎであまり詮索しないで選んでいました。フランシスコ会や山本家の墓ではない、新しい墓の仲間を選んでいたのです。死んだ後どうなるかではなく、誰といるのが嫌なのかという夢でした。わたしが心の中で、フランシスコ会のお墓で、あの人と一緒なら、安らかに眠ることができないと思う兄弟がいるからみた夢だったように思います。

 今日の福音には、いつ家の主人が帰って来るのか分からないから目を覚ましていなさい。と述べられています。自分はまだ大丈夫ではなく、もう直ぐその時が来ると、緊張して過ごしていなければなりません。生活の煩いや習慣に引きずられたのんびりした生活ではなく、待降節中は1日に何度も「主よ、来てください」と祈ることを習慣にしていきましょう。初代教会の人たちは、いつも主が来てくださることを待ち望んでいました。新訳聖書の最後の言葉は「主イエスよ、来てください」(アラム語でマラナタ)でした(黙.22.30)。
師走に入ってなんとなく慌ただしく感じますが、自分が目を上に上げない悪い習慣の原因はどこにあるのか考えることは大切なことです。*(5)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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