きょうの福音はイエスの誕生に関して、ヨセフを中心に書かれている箇所が読まれました。マタイ福音書は「イエス・キリストの系図」として、アブラハムからヨセフまでの系図を伝えます(1.1-17)が、16節は「ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」となっています。ヨセフとイエスの間に血のつながりはありません。それでもヨセフはきょうの箇所を通して、信仰によってイエスの父としての役割を引き受けていくことになります。一昨年12月から昨年の12月まで、教皇フランシスコは聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年経ったことを記念して「聖ヨセフ年」とすることを宣言されました。その時、わたしたちは教会の保護者聖ヨセフについていろいろ考えたのですが、いまクリスマスを直前にしてまた聖ヨセフについて考えることができるのは嬉しいことです。ヨセフ年に教皇は、イエスの養父としての聖ヨセフのやさしさやあふれる愛、神からの召命への従順さ。質素な労働者としての姿、目立つことのなかった生き方について触れています。また聖ヨセフは「執り成しの人、苦難の時に支え、導いてくれる人」でしたと教皇は記しています。
わたしはヨセフの沈黙と天使の言葉に素直に従う態度に感心します。マリア様にしろ、聖ヨセフにしろ、神の計画に従うためには、自分の計画や夢を捨てること、自分に死ぬことが必要だったのですね。きょうの福音に「みよ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」という箇所があります。インマヌエルはヘブライ語で「神は我々と共におられる」の意味です。幼子はイエスと名づけられ、新訳聖書の他の箇所でも一度も「インマヌエル」と呼ばれたことはありません。マタイは「インマヌエル」をイエスの「呼び名」ではなくて、イエスの「本質を表す名」だと言っているのです。
わたしたちは「インマヌエル」であるイエスをいつも見つけ出すことができるように、世の中をよく見ていかなければなりません。マタイ25章40節では「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」と言っています。マタイ26.26-28では「取って食べなさい。これはわたしの体である」とご聖体のことを言っています。マタイ18.20では「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言っています。キリストを信じる仲間の中に、イエスはおられます。
マタイ福音書の一番最後の言葉は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28.20)です。
ご降誕から始まったイエスの現存は2000年以上経った今でもずっと続いていきます。*(5)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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