今日の聖書朗読のテーマは祈りです。第1朗読では、モーセが戦いの間手を上げて祈った話です。日本人は祈る時は、手を合わせ祈るのが、一番相応しいように思いがちですが、聖書では手を上げて祈る作法が書かれています。パウロは、男たちは集会で、清い手を上げてどこでも祈ることをすすめています。(⒈テモ2.8)。わたしは修道院に入った志願者のころ、毎晩、聖堂で両手を上げて祈る祈りがあり、確か主の祈りを7回唱えたと思いますが、すごくきつかった思い出があります。モーセが祈っていて手がキツくなったことは分かります。モーセは丘の上で両手を上げて祈り、アロンとフルが両脇でその腕を支えました。このフルという人はその日忙しくてフル回転していたと思います。
福音では、イエスは神を畏れず人を人とも思わない裁判官であっても、相手を裁いてほしいとしつこく頼む人には、うるさくてかなわないから願いを聞いてあげるだろう。まして神は昼も夜も叫び求める人たちを、いつまでも放っておかれることはないと言います。そして「気を落とさずに祈り続けなさい」と言っています。また祈りについては門を叩きなさい。求めなさい。と言われました。でも神がそのまま聞いてくださるものでもありません。神はすぐ与えたらいいものと、時間を置いた方がいいものと別のものを与えた方がいい方を考えてくれます。
今年二月にロシアがウクライナに攻め込んだ時から、世界中の人たちが早く平和になるようにと祈っているのに、戦争はますます泥沼化してきました。わたしは、プーチンが早く死にますようにと祈っているのに聞き入れてもらえません。神さまは戦争に関しては全く知らんぷりをしているように感じます。むかし、ナチスは570万人のユダヤ人を殺害しました、新疆ウイグル自治区ではウイグル人の大量虐殺のニュースがうやむやになっています。さらに昔、中国はチベットを支配し、国から逃げ出したダライ・ラマがノーベル平和賞をもらいました。近ごろ中国は台湾までも自分のものだと圧力をかけています。ミャンマーでは軍事政権が好き勝手な事をしています。武力をもったり権力を集中させた指導者たちは恐ろしいことを始めます。
わたしは毎日たくさんのことを神さまにお願いしています。しかし願い通りにならないから、神のなさることは間違いないという信仰が必要になります。わたしたちは神さまは祈りを必ず聞き入れてくださるという信仰を持って祈っていきましょう。いちばんふさわしき時に、神さまは願いを聞き入れてくださいます。*(O)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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