今日は年間第20主日で、福音はイエスが「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」と言われた箇所です。しかし、今日は8月14日のため、明日の聖母の被昇天のミサを特別にしています。本来は主日のミサを他のミサに取り替えてはいけないのですが、ここの教会のお祝い日にも当たるので、司牧的配慮ということで、今日はマリア様の被昇天のミサをしています。みなさん聖母の被昇天のお祝いおめでとうございます。
カトリック教会では聖母マリアについて、四つの教義があります。1.神の母マリア2.乙女マリア3.無原罪の御宿り4、被昇天。神の母マリアと聖母マリアの処女壊胎は五世紀のエフェソ公会議(431年)で決定された教義です。聖母無原罪の御宿りの教義は1854年にまた聖母の被昇天は、1950年に教義として決定されたものです。しかし考えてみますと聖フランシスコ・ザビエルは1549年8月15日に鹿児島に上陸しました。その日が聖母の被昇天の祝日だったので、ザビエルは日本を聖母マリアにささげたとされています。マリア様が、すべてのキリスト者先駆けとして、三位一体の神との交わりのうちに霊的な体となったということは、すべての人間が聖母マリアのような霊的なからだにおける完成へと招かれているということも意味しています。(フィリピ3.20〜21)
わたしたちはロザリオの祈りの栄の玄義で、聖母の被昇天を黙想して祈ります。ロザリオは13世紀の聖ドミニコのころからの伝統的な信心業です。古い時代から聖母マリアが地上の生活を終わった後、肉身と霊魂とともに天の栄光にあげられたと思われていました。このことはわたしたちの希望にもなります。
ニコラオ・プレシェル神父様の「ロザリオの祈り」という本で、栄の第四玄義には、『マリア様の被昇天。これはキリストとマリア様に限るものではなく、キリストに従うすべての者の道が、示されています。さらに数えきれない天使、聖人、美しさ、すばらしさ。神が用意してくださった世界に入れられ、わたしのいままでたえしのんだこと、やったこと、自分のちっぽけな姿と神の豊かさを、そのとき、どれほど見抜くことができるでしょう。‥この被昇天は、天の家族、神秘体。いわゆる神の家族との再会です。そういう大きななんとも言葉で言い表せない、フィナーレがわたしたちに約束されています。』と書かれていました。わたしは最近、天国に行ったら会いたい人のことをよく考えています。わたしにはまだあったことのない姉がいます。-この姉は3歳くらいの小さい時、ジフテリヤに罹り、父が馬そりで町のお医者さんまで運ぶ間に亡くなったそうです。
天国に行ったら楽しいだろうと考える前に、自分はどうしたら天国に入れてもらえるだろうかと考えましょう
またこの時期、お墓参りや亡くなった人のことを考えますが死んでからではもう遅いこともたくさんあるので、まだ元気のあるうちに、自分の死を考えておきましょう。 *(5)
ニコラオ・プレシェル神父の講話II
ロザリオの祈り─ 小野崎良子(編)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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