キリストの降誕祭を準備する待降節が始まりました。教皇フランシスコは、待降節の意味について「人類と出会うために、自ら地上に降りて来られる神の子を、迎える準備」のための貴重な時、「私たちの兄弟たちの中に現存するキリストの存在を認め、愛し、学ぶ」ための時、であることを以前に話していました。また2016年の待降節第1主日の日曜正午のアンジェラスの祈りの際に、キリストの三様の来臨について話されました。
第一の来臨は「受肉の神秘を通して、すなわち、ベトレヘムの馬小屋での誕生」。
第二の来臨は現に毎日絶え間なく実現していることで「いつも私たちの傍らに現存し、愛と慰めを持って、ともに歩み続けてくださっている」こと。
そして第三の来臨は「世の終わりに際しての最後の審判の際での出会い」ですと述べました。

いま日本での新型コロナ感染者の数が減り落ち着いてきています。先日、来年の札幌雪まつりをどのように行うかのニュースが報じられていました。いろいろなイベントがこの冬は規制が緩和されるようです。ヨーロッパやお隣の韓国ではまた感染者が増えてきています。日本はこのまま規制を緩和して大丈夫なのかと不安も感じます。わたしたちはマスクや手洗いなどもうすっかりわたしたちの生活の中に入ってきていることを中止することなく、様子を見ていくべきだと思います。
今日の福音に「あなたがたの解放の時は近い」という言葉がありますが、コロナ禍からの解放の時ではないのです。最後の言葉は「いつも目を覚まして祈りなさい」です。
この待降節の4週間、わたしたちはただ、気を抜いて気楽に生きるのではなく、しっかりと目覚めて、前進するよう招かれています。
わたしは教皇のキリストの三様の来臨の話の中で、第ニの来臨、毎日絶え間なく来臨しておられるキリストに出会うこと。はマタイ福音書25章の「小さな人々のひとりにしたことはわたしにしてくれたこと」というキリストの言葉を思いだします。飢え乾いている人。旅をしている人、裸の人、病気の人(入院治療している人は周りにたくさんいます)牢屋にいなくても(施設や病院で)コロナのため面会が制限されている人、わたしたちの周りを見渡せば、わたしたちのすぐ近くにキリストがあちこちに来ています。わたしはたくさんの人から病院や何かの困難な事に遭遇しているので、お祈りして欲しいという依頼がたくさんきます。メールやハガキを出すことは、面会が制限されている人には大きな力になります。この待降節に今までしていなかった方法でキリストに出会う工夫をしてみましょう。
今日の第ニ朗読でパウロは「主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願いまた勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、学びました。その歩みを今後もさらに続けてください」と述べています *(K)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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