11月に入ったら喪中ハガキが届くようになりました。わたしは家族がいないので、自分が死んでも、自分の喪中ハガキは誰も出してくれないだろうと思います。司祭や修道者の場合はカトリック新聞に小さく載せてもらうだけで、亡くなっていても気づかないことが多いです。

今週は99歳の瀬戸内寂聴さんが亡くなった報道がありました。どんな生き方をしてもみんな神様のところに帰っていきます。もうすぐ雪が降るので、自然界では木々は葉を落とし、秋の虫たちもいつのまにかいなくなりました。みな世代交代の季節を迎えています。わたしたちが神様のところに帰るのは時間の問題です。わたしたちはいつまでもこの世に生きることではなく、神と共に新しい命に移ることを希望しています。死の門を通って、キリストと共にいる永遠のいのちへ移って行くことが何より大切なことです。
長く生きることより、よく死ぬことが大切だと理解しなければなりません。死ぬことは新しい命に至る道です。

今月は亡くなった人たちのために祈る月です。亡くなった人たちのためにわたしたちができることは沢山あります。ミサの依頼は故人が一番喜びます。祈り、犠牲、善行、を彼らの代わりにしてあげてください。彼らはもう自分からは何もできないのです。

今日のマルコ福音は紀元66年から始まった第1次ユダヤ戦争の頃ローマで書かれたと言われています。キリスト者の共同体は戦乱を避けてギリシャに避難していました。エルサレムの滅亡と戦争の状況が不安を感じさせる中でキリストの言葉が語られています。大地は滅びるがわたしの言葉は決して滅びない。
わたしたちが、世の終わりを心配しても何も始まりません。それより自分の死を心配しましょう。

今日はまた第4回目「貧しい人のための世界祈願の日」です。教皇はこの日のメッセージで、「貧しい人々は、あらゆる状況・場所において、わたしたちを福音化する。なぜなら、これらの人々は、御父の最も純粋な御顔を常に新しい方法で再発見させてくれるからである」と述べています。そして貧しい人々に対する寄り添いは、何よりもそれぞれの人を唯一の存在として認める「他者への関心」から出発すべきですと述べています。また、貧しい人々を教会の中心に据え、彼らの中にキリストを見出さなければならないと言っています。貧しい人々は教会の外側にいる人たちではなく、苦しみを分かち合い、困難や疎外感を和らげるべき兄弟姉妹であると述べています。*(5)