今日は年間第31主日ですが、諸聖人の祭日と重なったため、諸聖人の祭日の方が優先して祝われます。わたしたちは、信仰宣言で「聖なる普遍の教会、聖徒の交わり」と唱えますが、諸聖人の祭日はそのところと関係がある祝日なのです。

教会は父と子と聖霊の一致のうちに集められた神の民ですが、キリストの体、キリストの花嫁、聖霊の神殿とも呼ばれることがあります。また、目に見えるこの世の教会と、目に見えない天上の教会に分けることができます。今日の諸聖人の祭日は、この目に見える地上の教会から目に見えない天上の教会に移った、有名無名のすべての聖人のお祝いをする日なのです。聖人とは、キリストへの信仰を持ってこの世の旅路を歩み通し、今は父の元で永遠の報いを受けている人たちのことです。11月1日は、名前が知られている聖人、知られていない聖人を合わせて、すべての聖人をお祝いする日です。

諸聖人の祭日は.4世紀後半までは、聖霊降臨の主日の次の主日に祝われていましたが、後に610年教皇ボニファチウス4世の時に、ローマ帝国時代に、すべての神々に捧げられていたパンテオン神殿の遺跡が「殉教者の聖マリア」という名の、殉教者に捧げられた教会として献堂された日が、やがて諸聖人の祭日として定期的に祝われるようになったそうです。この辺の経緯は今月号のカトリック生活の「ハレの日の聖人たち」という記事に詳しく書かれています。

先日、わたしは20年以上も前にわたしが5条教会にいた頃、信徒会長をしておられたK・Tさんが、今年1月23日に亡くなられていた事を知りました。N市にいる娘さんの近くに住んでおられ、わたしは伊達のカルメル会に行った時には、毎年のように顔を出していました。昨年からわたしは入院して運転もできなくなり、Kさんとも疎遠になっていました。わたしが5条教会にいた頃、教会では毎年の海水浴や巡礼旅行などいろいろ行事があり、Kさんに大変お世話になっていました。あの頃、教会で動いていた方々は、今はもう沢山の方が天上の教会に転居されました。自分ももう歳に不足がないので、いつ神さまに呼ばれるか分かりません。向こうで知り合いに会った時、「あれ?どちらさまでしたか?」などと言わないように、ボケたくないと思います。人が死ぬ時、老人になっていることが多いので、天の国はテンポの遅いノロノロした世界のように思います。でも、天の国は老人天国ではなく、みんな元気で若い時の姿でいると思います。わたしは向こうに行ったら、やりたいことと、会いたい人が沢山います。ヨハネの黙示録では、天の教会は永遠の賛美の集いとして描かれています。人々は神の玉座と子羊キリストの前に導き入れられ、昼も夜も絶えず神を褒め称えます。

今日は諸聖人の祭日で、明日はまだその交わりに入っていない人のために祈る死者の日です。そして今月は死者の月です。死者のために祈ることは、わたしたちの大きなつとめです。地上の教会のわたしたちが、まだ神のもとに達していない人のために祈り、その祈りで天の国に入った人たちは、地上の私たちのために執りなしてくれます。この祈りの循環が途切れてしまわないように、今わたしたちのできることをしっかりやりましょう。


『ロザリオの月』最終日の修道院中庭の紅葉