今日、7月7日は七夕です。七夕はアジアで行われているお祭りで、日本でも古くからおこなわれてきたお祭り行事です。七夕と言えば、天の川を思い出します。

わたしは今年の大型連休が始まったばかりの4月29日に脳梗塞で入院しました。その日は朝ミサの後で、伊達のカルメル会修道院に行く予定でした。翌日にはそこから足を延ばし、道南の「上ノ国」町まで行くつもりでした。なんといっても「神の国」という名前がいいし、その町には「天の川」という川が流れていました。でも幸か不幸か出発前に救急車で運ばれて入院になりました。そのまま出発していたら、事故を起こした可能性もあり、「天の川」ではなく「三途の川」を渡っていたかもしれません。神の国もわざわざ函館の近くの「上ノ国町」に行かなくても、イエスは「神の国は、実にあなたがたの間にある」(ルカ17.21)と言っています。神の国はわたしたちの心の中から広まっていくものです。

今日の福音は、先週の続きでの箇所で、72人の弟子が派遣される場面です。神の国が広まっていくには、伝える人が必要です。わたしたちが「福音を宣べ伝える」とか「キリストを宣べ伝える」というときの「宣べ伝える」という言葉から送り仮名を取ると「宣伝」という言葉になります。わたしたちは、イエスの「神の国の平安」を人々に「宣伝」する使命が与えられています。この使命を果たすためには「刈り入れの主」に祈りながら歩むことができたらよいでしょう。

今日の福音個所は、弟子たちが福音を伝えに行く時の心構えがいろいろと述べられています。二人ずつ組にされたのは、福音宣教は本来独りで行うものではなく、お互いに協力し助け合うことが必要なことを教えていると思います。財布も袋も履物も持っていくな、は神の摂理に信頼して始めなさいということを教えています。聖人たちや大きな働きをした人たちは、自分の力ではなく、神が望んでおられるなら必ず実現すると考えて行動を起こします。マザーテレサはお金や何かのツテがあったから、死んでいく人や孤児の世話を始めたわけではありませんでした。むかし、帯広の十勝カルメル会修道院の建築の時、資金計画がハッキリしていないのに、神さまが何とかしてくださると建築を始めたので、役場の人が驚いたという話しを聞いたことがあります。

日野原重明さんの『いのちの言葉』「限りあるいのちを輝かせる珠玉の名言集」の中に、自分のためにではなく、人のために生きようとするとき、その人はもはや孤独ではない。まず、与えることから始めよう。富のあるものは富を、才あるものは才を。時間のあるものは時間を、しかしなんといっても、人が人に与える最高のものは、心である。他者のための「思い」と「行動に」費やした時間、人とともにどれだけの時間を分け合ったかによって、真の人間としての証しがなされる。という言葉がありました。キリストの福音は、キリストを信じる者がそれぞれの立場で伝えなければならないことです。親から子に、そのほか身内の人や近所の人たちに伝えなければなりません。わたしたちは神さまの小さい鉛筆であり、道具でなければなりません。皆がみな立派な道具ではありませんが。神さまは必要に応じてわたしたちを使いこなされるはずですので、少しでも役に立ちたい気持ちだけはいつも持っていましょう。         *(Ka)

日野原重明著『いのちの言葉』
”限りあるいのちを輝かせる珠玉の名言集”