今日からの三日間は「聖なる過越の三日間」と呼ばれ、典礼暦年の頂点になります。これは「主の晩さんの夕べのミサ」から始まって復活主日の晩の祈りまでの全過程をさし、受難と十字架を通して、死から命へと移られたキリストの過越を祝う三日間です。
今日はまた司祭職の制定とご聖体の制定の記念日にもなります。札幌教区は聖木曜日に聖香油のミサをすると、司祭たちがその日の夜の典礼に間に合わなくなるので、毎年、聖週間の火曜日に聖香油のミサをしています。今年、旭川からは間野神父さんと阿部神父さんが聖香油のミサに行き、司祭が行っていなかった教会の分の油も貰ってきました。その日、修道院の夕食の時間になっても二人の神父さんたちが札幌から戻ってこないので、わたしは、油をもらいに行って、どこかで油を売っていると思っていました。
今日4月18日は、むかし名寄教会にいた佐藤宝倉神父さんの洗礼名(アポロニオ)の記念日です。わたしと彼は一緒に1965年の復活祭に、美唄教会で洗礼を受けました。早いものでもう54年になりました。わたしは洗礼名に自分が洗礼を受けようと思った日の聖人、バレンチノを選び,佐藤神父さんは洗礼を受ける4月18日の聖人、アポロニオを選びました。
聖木曜日は「主の晩さんの夕べのミサ」が記念されます。マタイ、マルコ、ルカの共観福音書には、イエスが弟子たちとともに過越しの食事をしながら、パンとぶどう酒を聖別する場面があります。しかしヨハネ福音書には、「この世から父のもとへ移るご自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」イエスが「食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手拭いをとって腰にまとい…それから…弟子たちの足を洗い」
と続きます。イエスは弟子たちの足を洗いました。ペトロはその意味がまったく分からず、足を洗われるのを拒みました。しかし、イエスは彼に「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」と言います。イエスの模範に従い、相手を思いやり、時間を割いて他者のために奉仕するという行為は、聖体を割って与える行為と同じです。
洗足式について、教皇フランシスコは2013年に教皇に選出されてから、刑務所や難民施設などで、今までのしきたりを破り、女性や異教徒など様々な人の足を洗いました。そして、2016年には典礼秘跡省教令を出し、その中で、「仕えられるためではなく仕えるために」来られ、全人類の救いのためにいのちを与える、この上ない愛に駆り立てられたキリストにならい、洗足式では、だれの足でも洗うことができます。と今までの「男性の足のみ」という点を改定しています。どこ教会でも男性より女性が多いです。○○も山の賑わいで、高齢者も多いです。赤ちゃんでも、求道者でも誰でもが足を洗ってもらうことができます。典礼係から頼まれたら遠慮せずにどうぞ足を指しだしてください。イエスはすべての人に奉仕したいのです。洗足式を眺めることで、わたしたちは自分がだれを大切にしなければならないか考えましょう。信仰は行いを伴います。口先だけではなく、互いに足を洗いあう姿こそ、信仰を証しする美しい姿だと思います。 *(NA)