今日の福音でイエスは当時の誰もが知っていた二つの事件を話題にして、悔い改めについて話しています。ひとつは政治的なことでもう一つは事故でした。イエスは不幸な出来事と罪を直接結びつけるようなことはせず、あなたがたも悔い改めなければ同じように滅びると言われました。今日の福音のテーマは悔い改めです。

わたしは、人は簡単には変われないものだと思っています。わたしは修道院で6人の共同生活をしています。ほかの人に何か変えてほしい点があるとき、修道院会議の「生活の見直し」の時に、「これはおかしい」と言います。たとえば、典礼は規則通りにしようとか。でも、会議で何度指摘されても間違ったことをしている人は直すことをしません。人間は年をとるにつれて頑固になり、さらに習慣の力に流されるようになります。習慣を打ち破るには意欲と熱意とエネルギーが必要になります。

先日、日野原重明さんの「100歳の金言」という本を読みました。その本に、『仕事で新たなチャレンジが必要なとき、父はこう言いました。「人の2倍努力し奉仕しなさい。きっと人間的に成長するから」これは新約聖書から得た信念だと思います。この言葉は人生のさまざまなシーンで私を導いてくれました。』という言葉を見つけました。日野原さんのお父さんは牧師さんでした。聖書のことばは、「誰かが、1ミリオン行くように強いるなら、一緒に2ミリオン行きなさい。―マタイ5.24」からです。彼は大きな苦難を強いられたとき人の2倍という父の言葉が私を支え、医師として成長できたと語っていました。

先週の火曜日、3月19日は聖ヨセフの祝日でした。聖ヨセフは全教会の保護の聖人で、すべての家庭の保護の聖人です。彼は聖母マリアとともに、神の救いの計画に深く参与した人です。聖書の中には彼の言葉は出てきません。沈黙の聖人と言われています。彼は、夢でお告げを受けたとき、すぐに行動を起こした人です。神の望みにすぐに従った人です。わたしは、自分があまりしゃべらない(?)ので、黙っていつもすぐ動いた聖ヨセフが好きです。

今日の福音の後半は、実を結ばないいちじくの話です。相田みつをの「にんげんだもの」という本に、或る日のつぶやき―切り捨てるーという詩がありました。『わたしは長い年月 上にのびることばかり考えてきて 土の中深く根を張ることを わすれていたようです ヒョロヒョロと幹ばかり高く伸びて 雑然と枝葉がひろがるようになったとき 幹や枝葉の重みに耐えられない 根の弱さに わたしは初めて気がついたのです 気がついた時には手おくれでした 手おくれとわかったとき わたしは思い切って 枝葉を落とすことにしました 土の中のわたしの弱い根と 細い幹に支えられるだけの わずかな枝を残して あとは、ばっさりと切り捨てました~中略~=とはいうもの 枝葉をおとす時わたしは やっぱりさびしい気がしました もったいないなあと思いました しかし、おかげさまで いまは 眼に見えない土の中で 弱かった芽が新たな活動を始めたようです 枝葉を切り捨てた分だけ いや、それ以上かも―だれにもわからない根だけが知る 静かな充実感を待ちながら・・・』。根は信仰の土台です。祈りによって深く太く成長させ、不要なものは切り落とし良い実を結びましょう。 *(5)


日野原重明著「100歳の金言」


相田みつを著「にんげんだもの」