今日は世界宣教の日です。今年の「世界宣教の日・教皇メッセージ」のテーマは「若者とともに、すべての人に福音を届けましょう」です。このテーマは、今の日本の教会の現状には合わない気がしますが、今月、ローマで若者、信仰、召命の識別」をテーマとしたシノドスが開かれているので、それに合わせた内容になっています。長いメッセージですが、その中に、「生きることは遣わされること。人は皆、遣わされており、そのために地上に生きています。…教会の宣教の核心である信仰の伝達は、愛を「感染させる」ことを通して行われます。」という言葉がありました。

今日の福音の箇所は、イエスの三回目の受難予告に続く箇所です。イエスが自分は人々の救いのために苦しみを受けなければならないと話されているにもかかわらず、弟子たちは誰が神の国で高い地位につくかでもめていました。人間には、食欲、性欲、物欲などのさまざまな欲望がありますが、なかでも支配欲、あるいは権力欲は非常に強いものです。人を自分の支配下におきたい。自分が相手をコントロールしたいという望みです。支配者はライバルや敵を蹴落とし抹殺して自分の地位を保とうとします。そして下のものが、実力者や上の者に取り入り忖度したりすることもあります。多くの人がこの世では、人の上に立つこと、豊かになることが幸せだと考えています。しかし、人の上に立つこと、経済的に豊かになることが、人間を高めるわけではありません。

先日、わたしは鎌田實というお医者さんが文を書いた「白い街・あったかい雪」という絵本を買いました。これはチェルノブイリ原発事故のあとで、ベラルーシに医療奉仕に行った医師と看護師がおこした、実際にあった心温まる話でした。真冬の白い街で、病気の子どものために、パイナップルを探していた日本人の姿が、あたたかい連鎖をひきおこしました。今年の世界宣教の日のメッセージの中に信仰の伝達は、愛を「感染させる」ことという言葉がありましたが、信仰はその人の生き方を通して伝わるものです。もう50年以上前になりますが、高校生のわたしが初めてカトリック教会に行ったとき、神様のこと、教えのことは何もわからなくても、司祭や教会の人たちの様子を見て教会に通うようになりました。それこそ感染したのです。

キリストの教えを言葉で説明できなくても、感染させる方法はたくさんあるはずです。鈴木秀子シスターの*本にこんな言葉がありました。「時間もお金もなくても、人のためにできること。機嫌よくいることが、相手への何よりの贈り物」。他人との絆を作るには時間やお金を使う以上に、毎日をできるだけ明るく、機嫌よく生きることが大切です。不機嫌が伝染するように、機嫌のよい人がそばにいるとそれだけで気持ちよく感じます。一人ひとりには「自分のための役割」があります。宣教を難しく考えるのではなく、自分に出来ることを考えるといいでしょう。わたしは、楽しく明るい人が教会にもっともっといてくれたら嬉しいです。*「世界でたったひとりの自分を大切にする」聖心会シスターが贈る大きな愛のことば。文響社 先日見つけた川柳「小銭なくハンパないって言ってみる」 *(6)