今日は聖母被昇天の祝日おめでとございます。この祝日は聖母マリアがこの地上での生涯の日数が終わった後、神のお恵みによって霊肉ともに天の栄光に引き上げられたことを祝う日です。聖母マリアの祝日を8月15日に祝うことは5世紀に遡ることが出来ます。聖母マリアを「神の母」と呼ぶことで論争があり、エフェソ公会議(431年)で「聖母マリアは神の母である」と決定がなされ、そのあとで「神の母」としての祝日が8月15日に祝われました。その後6世紀からは「神の母の就寝祭」として祝われるようになり、1950年になって教皇ピオ12世は、長い間教会の信心であった聖母の被昇天を教義と決定し宣言しました。わたしたちはロザリオを唱えるとき、栄えの玄義で、聖母の被昇天を黙想して祈ります。ロザリオは13世紀に聖ドミニコによって広められた信心ですから、その頃からすでに、聖母がキリストの救いの業に一番先に与かったと信じられていたことがわかります。

この時期はお盆を故郷や行楽地で迎える人が多く、またお墓参りに行く人も多くなります。わたしは昨日、お客さんの神父さんを案内して、美瑛と富良野に行ってきました。この季節なので、どこも混んでいました。美瑛の青い池などは、駐車場に入るまでに長い渋滞が出来ていました。わたしは、わたしたちが死んで神様のところに行ったとき、長いこと順番待ちをしないように、今のうちにしっかり準備しておかなければと思いました。「お待ちしていました。はい、どうぞ」と天国に迎えてもらうためには、聖母マリアのように、いつもキリストと近い関係を保つことが大切だと思います。聖母は「わたしは主のはしためです」と謙遜に神の望みを引き受けました。わたしたちも日々の生活で、わたしの上に神のみ旨が実現しますように。「そうなりますように」の心で生活しましょう。

先日、面白い笑い話を見つけました。聖ペトロが天国の門番をしています。何人かの男たちが一度に天国の門に着きました。聖ペトロはみんなを並ばせ、「生前、女房の尻に敷かれていた人は左側のラインに、亭主関白だった人は右側についてください」と言います。ほとんどの男が左のラインにつくなか、痩せっぽちのみすぼらしい男がひとり、ぽつんと右の方に立ちました。「おまえはどうしてここに立っているんだね」と聖ペトロが訝しげに聞くと、男は「へい、女房に右って言われたもんで」と答えました。皆さん、どうでもいいことですが、聖書(西洋)では右と左のどちらが格上の地位か分かりますか。「主イエスは…天に上げられ、神の右の座につかれた(マルコ16.20)とあるように右が格上です。日本では基本的に「左」が上位です。左大臣は右大臣より格上で。舞台では左側が上手となっています。

聖母マリアは、わたしたちの間において、最も優れてキリストの救いに与ったお方でした。今日、8月15日は、聖母マリアの取り次ぎを願いながら自分の行く末を考える日、また、お盆の時期なので亡くなった人を思い出し祈るとき、また、終戦記念日で、日本カトリック平和旬間の最後の日なので、平和を祈る日。さらに、聖フランシスコ・ザビエルが初めて日本に来た日にあたり、福音宣教についても考える日です。故郷や親元に里帰りしている人は、自分の本当の故郷と親元はこの世にはないことをあらためて考えてみましょう。 *(GO)