カトリック教会で誕生日が祝祭日となっているのは、イエスと聖母マリア、そして洗礼者ヨハネの3人のみです。祝祭日のうちでも最も重要性の高いものを「祭日」といいますが、イエスと洗礼者ヨハネの誕生は、どちらも祭日です。それで、教会はクリスマスの6か月前にあたる今日は主日ですが、祭日を優先して洗礼者聖ヨハネの誕生を記念します。

先日、渡辺和子シスターが学長をしておられたノートルダム清心女子大学のホームページで、渡辺和子シスターの修道名は、洗礼者聖ヨハネを意味するセント・ジョンだったことを知りました。シスターは2年前の12月30日に89歳で帰天されましたが、生前にシスターが自分の葬儀のために用意していた聖書の言葉は、洗礼者ヨハネの「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3.30)だったそうです。渡辺シスターは、学生たちに、一人ひとりをかけがえのない存在として「ご大切」にしてくださる神を指し示すことが、自分の使命だったと感じていたのでこの言葉を選んだようです。

あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」この言葉は、イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの使命が何よりも救い主であるイエス・キリストを指し示すものであったことを告げています。洗礼者ヨハネは自分に厳しく生きた人です。「見よ、神の子羊だ」と弟子たちにイエスを指し示しました。彼は、悔い改めを説き、イエスに洗礼を授け、世の中の権力に屈することなく正しいことを言ったため、命を奪われました。洗礼者ヨハネはイエスの到来のために道を準備した人です。わたしたちキリスト者も、イエスのため道を準備する使命を受けています。わたしたちのまわりで、それは神に喜ばれないと思うことがあったら、遠慮しないで声を上げるべきです。キリスト者はおとなしいだけでなく、必要なことをはっきり言える人であるべきです。

先日の北海道新聞の読者の声に、毎週金曜日に放映されるNHK総合テレビの「チコちゃんに叱られる!」という番組が面白いという投稿がありました。この番組では出演者が質問に答えられないとき、CGの「チコちゃん」が頭から湯気を出して顔を真っ赤にして、「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叫びます。投稿していた66歳の方は、「自分も人生半分以上すぎたが、せっかくいただいた命である。これからはチコちゃんに叱られないよう気力を奮い立たせ充実した日々を過ごしたいと思っている」と結んでいました。この同じ日の毎日新聞には、日本の政治について「嘘のつぎは強行採決!?」という見出しと「日本を覆うむなしき安倍語」という見出しの大きな記事があり、また「膿出すと言ってる人がウミの親」という川柳ものっていました。(曖昧な記憶でピシャリ否定する 国会に真実の口がほしいなあ)

洗礼者ヨハネが今の日本にいたなら、きっと遠慮せずに政治家や官僚に「嘘つくんじゃないよ!」と怒っていると思います。またワールド・カップの日本の勝利で大騒ぎしている人たちには「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叫ぶかもしれません。わたしたちは自分に与えられた使命を考えましょう。使命はいのちを使うと書きます。そして、わたしたちはたった一度の大切なこのいのちをどう使っているでしょうか。