今日の福音は「ぶどうの木」のたとえです。イエスは最後の晩餐の席で弟子たちに「人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と話されました。イエスは、ご自分のからだが弟子たちの中にいなくなっても、彼らが引き続き、新しいかたちで自分と結ばれ、豊かな実りを結ぶようにと願ってこの話をされたと思います。わたしたちはキリストという幹にどのようにつながっているでしょうか。一人ひとりが自分はどのようにキリストと結ばれているか、キリストのいのちを大切にしているかどうか考えましょう。わたしたちは生まれた時のいのちの他に、洗礼によって「神の子のいのち」別の言い方をすると「キリストのいのち」をいただきました。ほんとうに大切にしなければならないのはこのいのちです。健康で豊かで便利な生活ができる、そのような今の生活だけを考えていたらアウトです。それらはみんな神の前に持っていけないものです。神は時としてより多くの実をつけさせるため、枝を刈り込むことがあります。 先日、神居修道院の庭のいちばん高い木に巣を作っていたカラスの巣を、業者が撤去していきました。旧約の詩篇に「あなたの祭壇のきわに、すずめもすみかを見つけ、燕も巣を作ってひなを育てる(詩篇84.4)」という句があります。わたしはいつも二階の小聖堂の窓から、卵を温めていた親鳥を見ていたので、とても悲しかったです。卵が4個あったそうです。これは、カラスにとっては理不尽なことで、人間の身勝手です。人間なら思わぬ不都合も、神がより多くの実を結ばせるために手入れをされたと考えることができます。

今週の火曜日から5月です。5月は伝統的に聖母に捧げられた月です。また5月1日は労働者聖ヨセフの記念日です。聖母と聖ヨセフはいつも神の子であるイエスにつながっていました。二人はいつも献身と優しい気遣いを持って神の子の成長に同伴していました。ルカ福音書の中で「マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた」という記述が二回出てきますが、これはヨセフも同じことでした。キリストを思い巡らす生活が大切です。自分の生活の中に、キリストがいつも共におられることに気づくために、立ち止まって、主と対話し祈りによって主に場所を空けてください。5月の間、独りで、あるいは友だちと、家庭でまたは教会で、ロザリオや聖母への祈りを一緒に唱えることはとても大切なことです。祈ることで、わたしたちはイエスの神秘を観想し、聖母と聖ヨセフと同じように、わたしたちの思いと関心をキリストに結びつけて行くことができます。

しっかりキリストとつながって実を結ぶ人になってください。言葉や口先だけのキリスト信者ではなく、どこを切ってもいつもキリスト者でいてください。キリストについて語っても、キリストと語っていない人はキリストの心を理解できません。そういう人はうわべだけ、口先だけのキリスト信者です。わたしたちはいつも他人の目を気にし、外見を大切にし、身だしなみを整えます。同じように、キリスト信者として、自分のこころ、中身も気にしましょう。時には、より多くの実を結ぶために、おん父から刈り込んでもらうことも受け入れる、そんな大人のキリスト信者に成長していきましょう。