復活節第4主日は毎年、ヨハネ福音書10章の羊飼いと羊の例えが朗読され、「良い牧者の主日」と呼ばれています。また教会に良い牧者が与えられるように祈る「世界召命祈願の日」になっています。召命という言葉は、一人ひとりが神から招かれている道と考えることができます。しかし、「世界召命祈願の日」は、とくに司祭、修道者への招きがあるように祈る日です。今年の「世界召命祈願の日」の教皇メッセージのテーマは「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」です。イエスは、公生活の始めに荒れ野で祈り試練を受けた後、ナザレの会堂を訪れ、そこでみことばを聞き、御父から託された使命の内容を識別し、自分はそれを「今日」実現させるために来たと宣言しました。

いま、司祭・修道者への召命が減ってきています。よい司祭、良い牧者を与えてくださいと祈ることはとても大事です。皆さんは家庭でどんな祈祷書をお使いですか。わたしが洗礼を受けた頃は、どこの教会でも家庭でも、公教会祈祷文という祈りの本を使っていました。その中には、召命を求める祈り、司祭のための祈り、洗礼志願者のための祈りなどがあり、これらの祈りは、個人でも教会でも暗記できるほどみんなよく祈っていました。

わたしは司祭になるまで、たくさんの祈りに支えられていました。わたしは幼きイエスの聖テレジアの本を読んで、司祭の召命を感じたので、神学校に入る前にカルメル会にお祈りを頼みに行き、強力な祈りで支えてもらいました。またたくさんの方々のお祈りと支援をうけ司祭叙階までたどり着けました。ドイツの一人の婦人は、わたしの分の神学校の学費を支援してくれていました。司祭になってからもたくさんの祈りで支えられました。52歳の時、わたしは最初の脳梗塞で入院しました。それで、わたしがいた滝川教会の信者さんたちはいつも「司祭のための祈り」をみんなで祈ってくれました。「神よ、あなたによって恵みの分配者となった司祭に、聖霊の息吹を注いでください。あなたのことばにいつも開かれた心、誘惑や試練に負けない心、謙遜に犠牲を行うキリストの心を、司祭のうちに強めてください。…」。すこし元気になったとき、この祈りのせいで、わたしはちょっと回心しました。大好きだったパチンコに行くと、なぜか司祭のための祈りを思い出してしまい、どうしてもそこに居づらくなり、そのうちだんだん行かなくなったのです。

司祭はキリストの道具として、ミサや秘跡を執り行うときに尊いのです。でも、弱い人間です。どうか祈りで支えてください。旭川には何人もの司祭がいて、毎週違う司祭が主日のミサをし、それぞれは能力や力量が違い「神父の差」が大きいです。でも、どうか祈りで支えてくだい。神父の悪口を言いたくなったら、まず、たくさん祈ってください。お願いします。むかし、カルメル会修道院の院長さんが、「神父さんたちは、神の恵みの小売商です。わたしたち観想修道院は、お恵みの卸問屋なのです」と言いました。みなさん、どうか司祭が良い牧者になれるよう、恵みをよく使えるよう祈りで支えてください。また神学生がよく育つよう祈ってください。そして、どうかいつも使っている祈祷書の、召命を求める祈りと、司祭のための祈りには印をつけていつもお祈りをお願いします