今年も四旬節に入りました。灰の水曜日の2月14日はバレンタインデーで、わたしの洗礼名(修道名)の記念日でした。わたしは1965年の復活祭に洗礼を受けました。洗礼名をいろいろ考え、洗礼を受けたいと思った日が2月14日だったので、その日の聖人の聖バレンチノの名前をもらいました。フランシスコ会に入会してからも洗礼名をそのまま修道名にもらいました。今年はわたしのお祝い日でしたが大斎・小斎の日でした。
バチカン放送によれば、教皇フランシスコは、今年の灰の水曜日に、四旬節を『立ち止まり、見つめ、帰る』機会にするように話されました。虚しく走り回ることをやめ、「立ち止まる」こと。家庭や、子どもたち、若者、お年寄り、病者、犯した過ちから立ち直ろうとする人たちの顔を「見つめ」ること。そして、いつくしみにあふれた御父の腕の中に「帰る」ことです。
わたしは今年の灰の式のとき、額と頭の区別がつかない○○さんが来ていたらどこに灰をつけようかとそんないらないことを心配していました。でも、その人がミサに来ていなかったので、すこし安心しました。そして、説教では、これからわたしは、「あなたはちりであるから、ちりに帰るのです」と言って灰をつけます。みなさんは心の中で「ハイその通りです」と思ってください。そうするとほんとうに「ハイの水曜日」になりますと言いました。
四旬節第1主日には毎年、荒れ野における40日間のイエスの試みが読まれます。 この日に、教会は洗礼志願式を行うことを勧めています。ある方からここの北1条教会には多くの洗礼志願者がいると聞き、とても羨ましく思っています。四旬節は、復活祭の準備としての祈りと回心の季節ですが、復活徹夜祭に洗礼を受ける人々の直接の準備期間としても形造られてきました。洗礼志願者がこれから神の子として新しい生き方を目指すように、わたしたち信者も同伴者、先輩、仲間として一緒に神に向かって歩みましょう。わたしが洗礼を受けたのは53年前の復活徹夜祭でした。その頃は第2バチカン公会議の直後で、まだ洗礼は復活祭が最適との指針は出ていませんでした。それで、クリスマスや他の祝日にも洗礼式が行われていました。わたしが洗礼を受けたとき、8人が一緒でした。そして、その中の一人は、神学校も一緒に入り、司祭叙階も一緒だった、いまフィリピンにいる佐藤神父さんです。先日、フランシスコ会のドイツ人の神父さんが89歳で亡くなりました。この神父さんは、晩年は老人施設(月形の藤の園)に入っていたので荷物は少なかったのですが、それでもまだ、少しのダンボール箱が、修道院のわたしの隣の部屋に置かれています。神さまのところに帰るとき、何も持っては行かれません。
今日、この後で話そうと思っていますが、みなさん、祈りはとても大切です。祈る人には聖霊がとどまってくれます。祈りを大切にしてください。毎日、一番よい時間を個人的祈りにあてるよう工夫してください。アビラの聖テレジアは「お祈りをしない人は、道を踏み外すのに悪魔の案内はいりません。このような人は、自分自身を闇の中へ放り込みます」と言っています。四旬節を、「悔い改めの季節」と考えるより、「今は救いの時、恵の時」と考えましょう。四旬節は目覚めるとき、神に近づくとき、恵みの時です。