皆さん新年おめでとうございます。新しい年を迎えた今日は、主の降誕から8日目にあたります。教会は、ローマの古い伝統に従い、1月1日を“神の母マリア”の祭日として祝います。教会がマリアを「神の母」と宣言したのは、431年のエフェゾ公会議でした。今日の福音にあるとおり、8日目にあたる今日、誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史、人類の歴史の一員になりました。マリアは、羊飼いたちにイエスを示し、彼らを喜びでみたしました。そして今もわたしたちに恵みそのものであるイエスを示し与え続けています。

カトリック教会は元日を「世界平和の日」とし、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界が来るように祈ります。新年のミサにあずかっている皆さんは、今年はああしたい、こうしたいと神様にお願いしたいことがたくさんあると思います。でも、自分のことよりまず全世界の教会と心を合わせ、世界に平和が訪れますようにと祈りましょう。教皇は毎年「世界平和の日のメッセージ」を出しています。今年の教皇メッセージのテーマは「移住者と難民、それは平和を探し求める人々」です。世界中に2億5千万人以上いる移住者と、その内の2250万人の難民について、教皇は、戦争と飢餓から逃れてきたすべての人々、差別や迫害、貧困、環境破壊のために祖国を去らざるをえないすべての人々を、いつくしみの精神をもって抱きしめましょうと呼びかけています。日本の国は、難民と移住者に対しては後ろ向きです。また今まで難民と移住者を受け入れてきた国々も、最近は受け入れを制限し締め出す動きがあります。人間を取り巻く世界はどんどん進歩しています。AI(人工知能)の発展や車の自動運転など世の中はこれからどんどん進歩していきます。でも、人間はそれに見合った理性の進歩がついていきません。自分さえよければいい。経済力や武力が全てだと思い、強い国が自分の見方をしないと、援助を中止すると脅し、弱い国は渋々ついていきます。おかしなことだと思います。

今日、日本中の多くの人が初詣に行き、お賽銭をあげ神仏にお参りします。神さまはわたしたちの欲望をかなえる召使ではないのに、自分の願いばかりを押し付けるのは身勝手なことです。日本人の宗教心は御利益を求めることが多いので、願いが聞き入れられないと、「神も仏もある物か」と神仏に背を向けます。わたしたちキリスト者がする祈りには、賛美、感謝、願い、反省が入っていなければなりません。新年にあたって皆さんが神様にするお祈りが、他力本願に流れることなく、いつも自分を奮い立たせ、決意する祈りになってほしいと思います。今日の福音で、羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当て、この幼子のことを人々に知らせました。マリアはこの「出来事をすべて心に納め」、「思い巡らして」いました。わたしたちも今日、神との出会いを心に収め、思いめぐらし、神をあがめ、賛美しながら、家路につきましょう。そして、この一年、キリストを探し当てる旅を続けていきましょう。