みなさん主の降誕おめでとうございます。今年の降誕祭は24日が日曜日だったため、祝賀会の準備などで、慌ただしかったと思います。降誕祭は普通にはクリスマスと言いますが、クリスマスはキリストのミサの意味です。ですからミサに与って、救い主がこの世にこられたことを感謝することが、本当の降誕祭の過ごし方と言えます。お祝いをし、プレゼントが行き交うだけがクリスマスではありません。また世の中ではクリスマスの主役はサンタクロースになっています。これも寂しいことです。

わたしは以前、こんな話を読みました。『アメリカの小さな村の教会で起こった、クリスマスのできごとです。教会学校でイエス様誕生の劇をすることになり、子どもたちはそれぞれに役をもらいました。ところが一人の発達障がいの男の子が役をもらわずに帰ったことがわかり、先生たちは相談して、その男の子のために役をつくりました。馬小屋付きの旅館の男の子でした。セリフはたった一言「だめだ。部屋はない」。そして、裏手の馬小屋を指さします。男の子は喜び、そして、何百回も家で練習をしました。クリスマスの当日、村中の人が教会に集まり、お祝いの最後を飾るクリスマスの劇が始まりました。日の落ちたベツレヘム。長旅に疲れ果て、すべての旅館で断られたヨセフとマリアが少年の旅館にやって来ます。「私たちを泊めて下さい」。少年は大きな声で言います。「だめだ。部屋はない」。重い足を引きずるようにして二人は馬小屋に向かいます。その後ろ姿を見ていた少年の目に、涙があふれ、男の子は、わあっと泣き出すとヨセフにしがみついて言いました。「馬小屋には行かないで。ぼくの家に泊まって」。劇は中断し、先生が舞台に飛び上がって、男の子を引き離しました。長い村の歴史において、これほど感動を呼んだクリスマス劇は後にも先にもなかったのです。』

ヨセフとマリアは宿屋を確保することができず、誰も、「わたしと替わろう」と言う人もいなければ、「わたしと一緒でよければどうぞ」と言ってくれる人もいませんでした。わたしたちがクリスマスを迎えることは、このように人々からはじき出されてしまった、みすぼらしい貧しい姿でおられる救い主を探し出すことです。そのことができたのは、やはり同じようにみすぼらしく貧しい羊飼いでした。

いま教会にロヒンギャ難民の支援を呼びかけるポスターが貼られています。そしてこの時期には多くの施設や団体からも寄付のお願いがきます。クリスマスなので、お花やイルミネーションで教会をきれいに飾ることや祝賀会も大事です。でも、その費用のすこしでも、いまたいへんな思いをしている人のために使って欲しいと思います。その人たちのことを忖度してほしいと思います。「馬小屋には行かないで。ぼくの家に泊まって。」わたしたちも、このような優しい心を持ちたいものです。クリスマスは物の豊かなわたしたちにとっては、神さまからいろいろなことを問いかけられる時です。貧しく弱い姿でわたしたちの所にこられるキリストに気づいてください。昨日の新聞に、ソンタクロースの一コマ漫画がありました。忖度は他人の気持ちを推し量ることです。神さまを忖度していきましょう。(大町教会)