みなさん、主のご降誕おめでとうございます。先日、2019年4月には、今の天皇陛下が退位されるので、12月23日の天皇誕生日が平日に戻されるという報道がありました。12月の祝日がひとつ消えるのは寂しく感じます。

キリストの誕生を祝う降誕祭は、教皇が替わっても時代が変わってもなくなることはありません。降誕祭はキリスト教が成立した最初の頃には祝われていませんでした。初期のキリスト信者たちが興味をもっていたのは、主の復活だけでした。降誕祭が祝われるようになるのは、4世紀になってからです。12月25日に主の降誕祭を祝うようになったのは、太陽神崇拝のミトラス教が、12月25日を不滅の太陽神の誕生日として祝っていたことに関係があります。キリスト教がローマの国教となり、「キリストこそ真の正義の太陽である」との考えから、太陽神の誕生日を主の降誕の日として祝うようになりました。救い主キリストが本当はいつお生まれになったのかは、はっきり分かりません。ただ、聖書には、羊飼いが野宿していた記述があるので、冬ではなく春先のもっと暖かい時期だろうと思われています。

さきほど朗読した福音は、夜半のミサで読まれた箇所の続きの部分です。ベツレヘムの羊飼いたちが、主の天使からメシヤ誕生の知らせを受け、急いで幼子を見つけに行くというのが福音のテーマです。羊の群れと羊飼いは日本では牧歌的、ロマンチックなイメージですが、イエスの頃のユダヤでは、羊飼いたちは遊牧の生活をし、聖書を勉強する機会もなく、安息日の礼拝にも行けなかったので、国民から軽蔑されていた人たちでした。この羊飼いたちが救い主を最初に礼拝し、この人たちが最初にイエスの素晴らしさを人々に伝えました。ユダヤ人が熱烈に期待していた救い主は、ひっそりと誕生しました。わたしたちは羊飼いたちのように、呼ばれたのなら、信頼をもって、イエスのもとに行きましょう。神さまは人を救うために小さく、貧しくなられました。人の目は上へ上へと向かうけれども神さまの目は下へ下へと注がれています。

主の降誕祭は救い主が生まれたことを祝うだけなら、ただの誕生会です。イエス・キリストはこの世で、人々に神のことや、どうすれば本当の幸せになるのかということを伝えました。神さまがわたしたちを本当の意味で救うために行った計画です。このことをも考えて、今日のクリスマスを一人ひとり祝ってください。わたしたちのために独り子を派遣してくださり、わたしたちに本当の幸せを伝えてくださった神に感謝し、わたしたち一人ひとりもイエスのような生き方をしていくことができますように、聖霊の導きと照らしを祈り求めましょう。

昨年のバチカンでの深夜ミサの時、教皇は、幼子がベツレヘムで生まれたことに触れ、ベツレヘムとは「パンの家」という意味です。幼子はまるで「わたしたちのパン」としてお生まれになったのです。神はご自分の命をわたしたちに与えるために、命の中に来られました。神はご自分の愛をわたしたちに伝えるために、わたしたちの世界に来られました。と話されました。神の子が人となって誕生したのは、人が神の子として誕生するためでした