今日の天の国の話は少し乱暴なたとえ話です。王からの招待を平然と無視し、王の使いを殺してしまう人々、そして王は、こんどは誰でもいいから無理やり披露宴に人を集めてきて、その中の礼服を着ていなかった人を追い出すこと、みんな普通では考えられないことばかりです。イエスはこれをユダヤ人の指導者たちに向かって話しています。イエスは、ユダヤ人たちが神の招きを無視したので、神が全ての人をご自分の国に招いたと言っているのです。わたしたちは神の国の婚宴に招かれました。でも、残念なことに、わたしたちもユダヤ人と同じように色々の理由をつけてその招きを断っています。最近の言葉で、相手を無視することをシカトすると言います。先日、その語源を知りました。これは、花札の十月の絵柄の鹿がそっぽを向いているところから生まれた言葉だそうです。最初は「しかとう」→「シカト」に変化。わたしたちは神からの招きを無視し、そっぽを向いていることがあります。神からの招きはシカトしないで、しっかと受け止めたいものです。

今日の福音の後半に婚礼の礼服を着ていない人が追い出される話があります。聖アウグスチヌスは「婚礼の礼服」は「生涯に示した愛」のことですと説明しています。わたしたちは神と隣人への愛という二本の糸で、自分の婚礼の礼服を織り上げます。そしてこの礼服を着てキリスト者としての証しを自分が置かれた場所で表していかなければなりません。

わたしは先日、結婚披露宴があって黒のスーツとローマンカラーで出席しました。ふだんはただの年寄りですが、神父らしい服装になると、やはり気が引き締まりました。今日15日は、カルメル会の創立者ともいわれる大聖テレジアの祝日です。わたしは年に何回か、伊達のカルメル会修道院でミサをしてきます。シスター方はミサをとても大切にしているので、ミサの時の服装はいつも、カルメル会の正装にあたる白いマントをつけています。わたしたちもミサを大切にすることを服装でも証ししましょう。遊びに行くのではなく、コンビニやスーパーに買い物に行くのとも違い、ミサは神と出会う場所です。あまりラフにならず、大切な人に会うのに失礼にならない服装、せめて会社に行く時くらいの服装をお願いしたいです。

このところの日曜日は、数週間前から「天の国」(神の国)のたとえが朗読されています。これらの神の国についてのたとえは、毒麦が混じっていたり、先の者が後になったり、といろいろありましたが、すべてイエスの心配事を表しています。イエスは「神のみ旨はわたしに与えてくださった人を一人も失わないで、みもとに導くことである」と言います。イエスにとって最も大切なことは、信じる者が永遠のいのちを得ることでした。一人も失わないことが大事でした。アビラの大聖テレジアは、1562年アビラの町にカルメル会の原始会則を守る改革カルメル会修道院が創立されたとき、「主のお望み、それはわたしたちができる限りの手段を尽くして、人々の霊魂を主のみもとに連れ戻すことです。彼らが救われ、永遠に主をたたえるように。」と言いました。(霊魂の城Ⅶ)。彼女はイエスがいちばん大切に思っていたことを理解していました。わたしたちはイエスを心配させないようにしましょう。

2017年10月14日(土)聖母の土曜日 紅葉の華やぎ2017(教会中庭にて撮影)