先日、今年のノーベル平和賞が発表されました。ICANという核兵器廃絶国際キャンペーンの団体が受賞するようです。この団体の受賞によって、核兵器禁止条約に反対の立場をとっている核保有国や核の傘に依存する同盟国が、少しでも自分たちの主張が間違いだということに気づいてほしいと思います。TVのニュースを聞いていたら、わたしは、ICANという言葉が聞きなれないので、「愛ちゃん」と聞こえ、卓球の福原愛ちゃんを思い出してしまいました。
今日の福音は、今週もまた、「ぶどう園」が舞台です。ぶどう園の主人が農夫たちにぶどう園を貸して旅に出ます。土地を借りた農夫たちは年貢を収めず、ぶどう園を乗っ取ろうとします。農夫はわたしたち人間で、ぶどう園は、神からわたしたちに与えられる恵みです。わたしたち一人一人は神からぶどう園を任せられています。ぶどうの手入れをしなければ、多くの収穫は無理です。ぶどう園を乗っ取ろうとする農夫たちは、年貢を収めることよりは、自分たちの生活を第一に考えました。この悪い農夫たちは、神のことを考えなくなったわたしたち現代社会の人間です。人間は自由だ、経済的成功こそが人を幸せにするという間違った思い上がりで、神を追い出してしまっています。しかし本当は、人間は弱いものであって、神の力がなければ何もできない存在なのです。
10月はロザリオの月です。今年はファチマの聖母ご出現から100年の記念の年でした。ファチマの聖母は、罪人のため、世界の平和のために毎日ロザリオを祈るように勧めています。わたしたちは祈るとき、自分のためや、身近な事のために祈りがちです。でも、もっと広い視野で祈ることも大切です。「主の祈り」はいつも「わたしたち」で祈っています。カトリック・カレンダーには毎月、その月の「教皇の祈りの意向」が載っていて、全教会が日々の祈りの中でその意向に沿って祈るよう招いています。今月の世界共通の教皇の意向は、「働く人たちと失業している人たち」のために祈ることです。
ロザリオを祈るときは、聖母マリアのまなざしをもってキリストの生涯、キリストが歩まれた道、その救いのみ業について黙想してください。ロザリオは時間のかかる祈りです。わたしはロザリオで他人のために祈っても、恵みはすべて自分に戻ってくるので、「祈りは人のためならず」だと思います。ロザリオはいつでも祈ることができます。散歩の時、仕事をしながら、ちょっとした待ち時間に、小刻みになっても祈りましょう。あとでつなぎ合わせればいいのです。先日、教皇フランシスコがまだ神学生だった時に、自分の11歳の妹に祈りを依頼したきれいな手紙を読みました。『君にも・・・ぼくの仕事の手伝いをしてほしいのだ。君なら上手くできると思うよ。たとえば毎晩ロザリオの祈りをとなえるようにするというのはどうだろうか。それが大変なのはよくわかる。でも、君のお祈りは冬にゆっくりと降る霧雨のようなものなんだ。それが大地に降ると、土地は豊かになって豊かな実りをもたらすんだ。僕が遣わされている仕事にはその実りをもたらすことが必要なんだ。だから、それを君にも手伝ってほしいんだ』この手紙からは祈りを大切にする強い静かな信仰が感じられます。