今日の福音で、イエスは弟子たちに向かって、人々は自分のことをどのように思っているか?と聞いています。フィリッポ・カイサリア地方は美しいところで、高いヘルモン山から川が流れ出てヨルダン川の源流になっていました。そこには群衆も、ファリサイ派やサドカイ派もいなかったので、イエスは気楽に腹を割って弟子たちと話すことができたのです。イエスの質問に、ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えています。イエスはこの答えをほめ、「シモン・バルヨナあなたは幸いだ・・・あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる・・・わたしはあなたに天の国の鍵を授ける・・・」と言っています。この箇所はマタイ福音書だけにあります。マルコ福音書とルカ福音書では「あなたはメシアです」というペトロの信仰告白のあとで「ご自分のことを誰にも話さないように」と命じています。ペトロもそうだったのですが「メシア」という言葉は、当時の人々は、ユダヤからローマ人を追い出してくれる強い軍人のイメージがあったのです。このすぐ後でイエスがご自分の受難を予告した時、ペトロはイエスを諌めて「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません」と言い、イエスから「サタン引き下がれ!」と叱責されています。ペトロの理解は不十分で、受難と死を通して「イエスがキリストである」ということの本当の意味を理解していなかったからです。ペトロは使徒達の中では目立った存在でした。でも弱くて軽はずみで欠点も多くありました。完璧でなくても神はその人を使うことができます。わたしなどはとても神の道具にはなれないと思わないでください。神は弱い人間であってもうまく使いこなすことができます。

ペトロはイエスから「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言われます。カトリック教会は、ペトロがイエスから授けられた権限はペトロの後継者であるローマ教皇が引き継いでいると考えています。ところがプロテスタントの人たちは、ペトロだけがその権利をいただいたのではなく、最初にこの告白をした者として、ペトロが教会を代表して鍵をもらったと考えるようです。団体競技で優勝すると、キャプテンが代表してトロフィーを受け取ります。でも、メンバー全員が受け取ったことになります。こう考えると、わたしたち一人ひとりが、イエスから天の国の鍵を預っていると考えることができます。

わたしたちは、自分も天の国の鍵をゆだねられていると考えましょう。イエスは律法学者やファリサイ派の人たちを「あなたがたは天の国を人々の面前で閉ざして、自分が入らないばかりか、入ろうとする人も入らせない」と厳しく批判しました。(マタイ23.13)。こんなふうに叱られないようにしっかりと生活しましょう。わたしは教会のリーダーに選ばれたペトロが、イエスに対する信仰があっても、単純でせっかちで、「サタンよ退け」と叱られ、受難の時には三回もイエスを否定した弱さを持っていたことにホッとします。わたしたちも同じように弱いからです。鍵は大切です。わたしは時々、車のキーや部屋の鍵をどこに置いたかわからなくなって困ることがあります。置き忘れたり、忘れしないようしっかり生活しなければと思っています。