私たちは神が人となられた神秘を、毎日のお告げの祈りで思い起こしています。ルカ福音書のお告げの出来事は、マリア以外のだれにも分からないつつましい出来事でしたが、人類の歴史において決定的な出来事でした。マリアの「はい」によってイエスは胎内に宿り、イエスとともに歴史の新しい時代が始まりました。イエスの使命を引き継いだ教会は、神のみ旨に対していつも「はい」と言い、そして教会のメンバーであるわたしたちもいつも「はい」の精神を持つなら、神の計画が私たちを使って行われていきます。四旬節の初めが「灰の水曜日」でした。その日には、頭かオデコに「灰」をつけられました。今日のお告げの祝日は「灰」ではなくて「はい」を考えます。わたしたちは神に対してなんども「はい」と言ってきました。洗礼を望みますか?信じますか?悪霊を捨てますか?こういった問いに「はい」と答えました。日常生活の中でも「はい」と使っています。「はいはい」というような軽い「はい」も、重大な決意の「はい」の場合もあります。神の望みに対する「はい」には誠実でなければなりません。マリアの「はい」はわたしたちに救い主というすばらしいめぐみをもたらしました。しかし十字架のもとでわが子をささげる苦しみをマリアに味あわせるものでした。
渡辺和子シスターの書きものを読んでいたら、その中に「請求書の祈り」「領収書の祈り」という言葉が出ていました。「お願いしていたことはどうなっていますか。早くください」と頼むのが請求書の祈りで、請求したものと同じものが与えられたとき、またお願いしたものと違ったものが与えられたときにも「かみさまありがとうございました」と領収印をポンと押すのが「領収書の祈り」だそうです。一度「はい」と承諾したらその後に様々なことがおきてきます。でも神のお考えなのだと考えて受け入れていくことが信仰生活での「はい」だと思います。「請求書の祈り」ばかりしていたらまだまだ未熟者で、神の計画に参加するところまで行きません。
神はわたしたちをご自分の道具として使いたいのです。わたしたちが自分のことで精いっぱいだったら、神の方から取りつく島もありません。わたしたちは主の祈りで「み心が天に行われる通り地にも行われますように」と祈ります。キリスト者の心に神のための心のスペースが必要です。この季節に赦しの秘跡を受けて、神の望みのための心の空間を作ってください。
マリアが「お言葉どおりこの身になりますように」と答えたことによって、聖霊の働きが始まりました。イエスのこの世でのいのちの初めと、教会のはじめも聖霊によるものでした。わたしたちが動き出すのにも聖霊が必要だということを今日考えてみましょう。まず、悪霊と自分のわがままと、罪を追い出さして、聖霊のための環境を整えましょう。