今日の福音は、実行がたいへん難しい教えです。旧約聖書には『目には目を、歯には歯を』という言葉が出てきます。これは、同害復讐法という掟で、人から損害を受けたとき、それ以上やり返さないで、同じだけの損害で止めておきなさいという教えでした。イエスは復讐すればいつまでたっても復讐が続くことになる、それを断ち切るためにもっと大きな愛の心を持つこと、奪おうとするものにはさらに与え、また敵を愛し敵のために祈りなさいと教えました。イエスの教えはみな当時の律法の教えを超えていました。イエスは天の父を引き合いに出して、高い理想を掲げて努力しなければならないことを教えています。
先日、新聞の一コマ漫画に、「キャンプだより」というのがありました。リポーターが「今シーズンはファーストだらけです」と報告していて、一塁上には、アメリカ・ファースト、自分ファースト、自国ファースト、都民ファースト、という政治家たちがひしめき合っている絵でした。
つい先日、アメリカ大統領の単独記者会見のニュースを見ました。トランプ大統領は自分のとった政策を自画自賛し、他人を見下し、無視し、時には叱責し、マスコミや裁判所までもが嘘つきで愚か者だと批判していました。わたしは彼がどんな家庭環境で育ったのだろうかと考えてしまいました。かれは自分が全て正しいと思っているようです。今日の第2朗読でパウロはだれも自分を誇ってはなりませんと言っています。
昨年末、教皇は世界各国の元首にメッセージを送り、その中で、「わたしたちの心と言葉、行いから暴力を追放し、非暴力的な共同体を築き上げて、わたしたちが共に暮らす家を大切にしましょう」と呼び掛けました。そして1月1日の世界平和の日メッセージでは、平和を実現するための政治体制としての「非暴力」について話されました。教皇は、人は家庭の中でコミュニケーションや寛容さ、思いやりを学び、他者のためを思い、いつくしみとゆるしを学び、争いを解決することができるようになる、と言いました。また教皇は一昨日17日に、ローマ市内の大学を訪れ、学生からの「世界で広がる暴力を止めるにはどうしたらよいのか」という質問に、暴力は小さなことを発端に、社会や、家庭や、わたしたちの言葉遣いの中にも広がっていくと述べ、わたしたちが他人を受け入れられない、尊重できない、対話できない時、そこから戦争が始まっていくと言われました。
イエスは「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者になりなさい」と言われました。その呼びかけは、神と同じように深く広い愛情に満ちた生き方をするようにわたしたちを招いています。自分のことだけを考える狭い愛の示し方ではなくて、相手の尊さをまっすぐに受け容れるような大らかさを身につけたいものです。パウロはだれも偉ぶったりすることなく「本当に知恵のあるものとなるために愚かなものになりなさい」と言っています。わたしたちは福音の精神を生きるように努力しましょう。
(家庭でのしつけの小噺) 思いやり:母親が息子に言った。「だめじゃない。テーブルに載せてあったケーキをぜんぶ食べてしまって。妹のことも考えたらどうなの。」息子が答えた。「うん、僕考えたよ。食べている間中ずっと、妹のことを考えて食べたんだ。」