11月は死者の月です。昨年までわたしは札幌に住んでいました。毎年11月になると、死者の月の死者から、なんとなくシシャモを連想して、日高の鵡川町までシシャモを、買いに行っていました。シシャモは日本固有の魚で北海道の太平洋岸の一部にだけ生息する魚だそうです。アイヌ伝説では、飢餓に苦しむアイヌたちが神さまに助けを求めたところ、神さまが柳の葉に魂を入れて川に流し、それがシシャモになって人々を救ったのだそうです。シシャモの伝説を考えていたら、キリストのことを思いだしました。神さまがキリストを遣わし、キリストはご聖体になってわたしたちの食べ物になり、わたしの肉を食べるものは永遠に生きると言われました。

近ごろわたしは、新聞のおくやみ欄で、一日に何人亡くなっているか数えることがあります。だいたい平均すると北海道では一日100人が亡くなっています。あと何年たったら、ここに自分の名前が載り、その時の喪主は誰だろうかと考えてみました。その時は分かりませんが、自分が死に近づいていることだけは確かなことです。あと20年もすると、いまこの聖堂で、ミサに与っている人の多くは、天上の教会の方で、神さまを賛美していると思います。わたしはどうなっているか分かりませんが、天上の教会の方に来ていないと言われないようにしっかり生活しなければなりません。わたしたちは、『信仰宣言』の中で「からだの復活、永遠のいのちを信じます。」「死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。」と唱えています。

ユダヤ教にはもともと死者の復活の考えがありませんでした。今日の第1朗読のマカバイ記の頃、紀元前二世紀にシリアによって激しい宗教的弾圧が起こり、その中で「神に忠実に生きようとして苦しみを受け殺されていく人たちに、神は新しいいのちを与えてくださるに違いない」という希望が語られ、死者の復活の考えが入ってきました。ファリサイ派の人たちは死者の復活の考えを受け入れましたが、比較的に裕福で、現状に満足していたサドカイ派の人たちは保守的で、変化を望まず、新しい考え方を受け入れませんでした。それで死者の復活についても否定的で、イエスに今日の福音にあるように、わざとおかしな質問をしています。

イエスの周りには様々な苦労や悩みを抱えこんでいた人が多くいたので、イエスはこの世では満たされなくても、神は優しい方なので必ず新しいいのちを与えてくださる。と復活の考えを肯定し、みずから死者の中から復活されました。復活の教えはこの世で不自由なあるいは苦しい生活を強いられる人にとっては希望や励ましを与える教えです。

イエスは、サドカイ派の質問に対して「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも、嫁ぐこともない。……天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。」と答えられます。イエスは、「次の世にふさわしい人は、神の子だからである」と言われました。神の子にふさわしい生活になるよう頑張りましょう。イエスに身を委ね、信頼のうちに、信仰を頂けるような生活を送りましょう。

人間的に見るなら、人間の歩みは生から死へと向かっています。しかし、本当はわたしたちは、死から永遠のいのちへと向かって旅をしています。自分に死ぬことにより、永遠のいのちに向かいます。神さまのもとに出る時まで、信仰の道をしっかり歩み続けるめぐみを願いしましょう。