今日の福音はルカ福音書だけに書かれている徴税人ザアカイの話しです。ザアカイが住んでいたエリコは緑豊かなオアシスの町で、 九千年近い歴史を持つ世界最古の町です。現在はパレスチナ自治政府の本部が置かれています。わたしは以前、聖地巡礼でエリコを訪れたことがあります。その時に初めて搾りたてのオレンジジュースを体験し、それが美味しいものだと知りました。また、3月の末だったのですが、街中にブーゲンビリアの香りが漂っていました。

ザアカイはその町の徴税人の頭で金持ちであったと書かれています。しかし、お金はあっても、嫌われ者で、満たされない寂しい気持ち、疎外感を味わっていたと思われます。当時の徴税人はローマ帝国から利権を買いとり、同胞から税を取り立てたため、ユダヤ人たちからは売国奴、裏切り者、罪人の代表格とみなされていました。 彼はイエスを見るために先回りしていちじく桑の木に登り、誰からも気づかれずに上から葉の陰からイエスを見ようとしたのですが、イエスに声をかけてもらい、名前を呼ばれ、「今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と言われます。イエスを家に迎えた彼は嬉しくなり、『わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』と宣言します。イエスとの出会いによってザアカイは生まれ変わり、 愛と正義に生きる人になりました。イエスは「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子は、失われたものを探して救うために来たのである。」と言われました。

わたしは聖書には出てきませんが、ザアカイの奥さんがもし強い人だったら、きっと後で揉めたのではないかと想像しています。いきなりイエスが弟子たちを連れて泊まりに来て、夫は財産の半分を貧しい人に施すと言い出したら、女性は男性よりもっと現実的ですから、平穏には収まらなかったでしょう。「これからどうしたらいいのよ」「家のローンも残っているし、子どもの教育もあるし、一人だけいいカッコしてあんなことをみんなの前で言って!」と大喧嘩になったのではないかと思います。

ザアカイがその後どうなったかは聖書では知ることができません。しかしイエスと出会ったその時にはっきりと決断して、新しい人に変わろうとしたことは立派なことです。わたしたちが変わっていけないのは、そういわれてもすぐには・・・と考え、周囲を見渡し、いつも何か理由をつけて先延ばしすることが多いからです。ザアカイはその日のうちに、その時にすぐ、イエスに従いました。

いまイエスと出会うために、町に出て行って木に登る必要はありません。人々の中に、教会共同体の中に、み言葉の中に、ご聖体の中にイエスはおられます。出会うためには、わたしたちが心を開いて外へ出ていかなければなりません。♪わたしは門の外に立ち、扉を叩いている♪という典礼聖歌があります(默3.20)。イエスが外に立って扉を叩いている絵を見たことがある人も多いと思います。あの絵には戸の外側に取っ手がついていないそうです。内側からしか開けられない戸です。だからイエスはとっても困っているのですよ。