今日の福音は「金持ちと貧しいラザロ」のたとえです。教皇フランシスコは今年の5月18日、バチカンの水曜日の一般謁見で、貧しさといつくしみをテーマにして「金持ちとラザロ」の話を使って講話をされました。その中で、この話は、貧しい人の窮状を無視する人たちに最後の審判で下される「厳しいとがめ」についての話しです。と言われ、金持ちが罪に定められたのはその豊かさのためではなく、ラザロに対して同情し、手を差し伸べなかったからですと言われました。教皇は「神のわたしたちに対するいつくしみは、わたしたちの隣人に対するいつくしみと結びついている。心の扉を貧しい人に開かないならば、その扉は神にも閉じられたままになる。と述べられました。わたしたちが日常生活で出会う貧しい人々の中にイエスとの出会いがあると述べた教皇は、「わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25,40)という言葉で講話を締めくくりました。

今年の1月に、世界経済フォーラム(通称ダボス会議)がスイス・ダボスで開催され、日本からも大臣が複数名参加しました。この会議の前に、貧困撲滅に取り組む国際NGO組織「オックスファム」が、世界で最も裕福な62人が保有する資産は、世界の人口のうち経済的に恵まれない下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じだったとする報告書を発表しています。この報告は、大ざっぱに言えば、1台の大型バスに収まる程度の金持ちが、世界の人口の半数を養える額、約180兆円を持っている。さらにこの経済格差は年ごとに拡大しているので、各国政府に是正への取り組みを呼びかけたものでした。

わたしたちは金持ちでないからこういった話は自分に関係ないと思わないでください。わたしたちは神からいただいているものがたくさんあるのです。今の生活、健康な身体、快適な生活環境、医療サービスなど・・・。でも、体の不自由な人もいます。世界にはこれを受けられない多くの難民がいます。最低限の生活もできない人もいます。自分の周りの人たちのことを考えてください。高齢や病気で相手にされないで寂しい思いをしている人、軽んじられている人、置いてきぼりにされている人、何か理由があって人から避けられている人は、わたしたちの周りには結構多いと思います。自分が恵まれていると感謝するだけでなく、わたしたちの周りにいるラザロに気づきましょう。

地獄に落とされた金持ちは特別なことがあれば、自分の兄弟たちまで地獄にこなくて済むのではないかとか考えました。でも日常の普通のことが大切なのです。巡礼が大好きな人がいます。聖人の聖遺物が来たらどうしても見に行きたい人もいます。以前、フランシスコ会の集まりで、ルルドの話が出て、ある神父さんが、自分は6回も7回もルルドに行ったと自慢そうに話したとき、わたしは「そんなことはあまり話さないほうがいいよ。ルルドの効き目がさっぱりなかったことをバラしているのだから」と言ったことがあります。巡礼に行かなくても毎日ロザリオを唱え、聖母を大切にすることができます。先日列聖されたマザーテレサは、最も貧しい人の中にイエス様を見つけて出会っていました。