皆さん、聖母の被昇天の祝日おめでとうございます。聖母の被昇天の教えは、教会が1950年に宣言した比較的新しいものです。教会は『おとめ聖マリアが生涯の最後に、体も魂も共に天の栄光に上げられた』と宣言しました。わたしたちはロザリオの祈りの栄の奥義で、聖母の被昇天を考えて祈っています。ロザリオは古くからある祈りなので、聖母の被昇天が教義として宣言されるよりずっと以前から信者たちは、聖母がキリストの救いの業に一番先に与かったと信じていたことがわかります。
昨日、わたしは5条教会のミサあと、買い物があって浦臼町まで行ってきました。お盆なので交通量が多く、国道12号線は神居古潭で長い渋滞になっていました。途中、ある町の墓地のそばを通ったら、たくさんの車が停まっていました。修道院に戻ったら、カトリック・センターの納骨堂にもたくさんの人がお参りに来ていました。今日このミサのあとでお祈りに行く神居墓地もきっと混雑していると思います。この季節はふるさとに帰り、お墓参りに行く人も多くなります。自分の本当のふるさと、自分の永住する地はどこなのかと考える良いチャンスです。誰もがいずれこの世から消えていきます。聖母のように天に引き上げられることを望み、わたしたちの生活が神に喜ばれるものになるように工夫しましょう。聖母はすべてのことを心に収めておかれた奥深い方でした。現代は忙しい慌ただしい時代です。忙しいと慌ただしいという漢字は、心が亡ぶ、心が荒れると書く漢字です。一日に5分でも10分でも一人になり、テレビも消して、神の前に自分を置いて祈る時間を作ってください。女性は人前に出るときはお化粧をすると思います。先日「今朝は忙しかったからスッピンですみません」という方がいました。祈りの時間を取らない人の心は、手入れを怠った荒れた状態でスッピンになっています。今の時代、人はあまり考えることをしません。本も読まなくなったから書店が潰れる時代です。直ぐにわからないこともマリアは心に留めていました。
今日はまた聖フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸し、日本を聖母のみ心に捧げた日です。また昨日8月14日は、アウシュビッツ強制収容所で妻子ある若い兵士の身代わりになって亡くなった聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父の記念日でした。コルベ神父は聖母マリアを大切にした聖人です。昭和5年から11年まで長崎にいて聖母の騎士を創刊しました。以前、わたしはある雑誌に、むかしお世話になった長崎出身のフランシスコ会の神父さんが、神学生時代にコルベ神父から哲学を教わったと書いていた記事を読み驚きました。コルベ神父はそんなに昔の人ではないのです。殺されたのが1941年(昭和16年)です。どの聖人たちもよく祈りました。聖母を大切にしました。ロザリオの祈りを大切にしていました。ロザリオを祈ってください。ロザリオは気が散るとしても、祈っているその時間は口か心のどちらかが神の方に向いている優れた祈りです。聖母は「いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう」と言いましたが、わたしたちも幸いなものとなれるよう頑張りましょう。