先週の金・土は教会学校のサマー・スクールでした。多くの方々の支援で、無事に終えることができました。ありがとうございました。暑さが厳しく、とても疲れました。
今日は年間第18主日です。今週の木曜日(8月4日)は、わたしの好きな聖人の聖ヨハネ・マリア・ヴィアンネ司祭の記念日です。今から7年前、当時の教皇ベネディクト16世は、聖ヴィアンネの没後150年を記念して「司祭年」を制定し、この聖人を「全世界の司祭の守護聖人」と宣言しています。聖ヴィアンネはフランスのアルスという田舎の教会で徳の高い生活を送り、学者ではなかったので誰にでもわかる言葉で大切なことを率直に述べました。彼は非常に厳しい生活をし、牧者として人々の魂の救いをいつも第一に考えた司祭でした。聖人は、自分の救いのことを考えない人のことを次のように言っています。『隣人の畑を耕して、自分の畑は荒れ放題にしている人を、皆さんは何と言うでしょうか。ところが、皆さんのやっていることは全くこの通りなのです。たえず他人の良心をせんさくし、それでいて、自分の良心は手入れせず、ほったらかしにしているのです。死がやってきた時、他人のことは実によく考え、自分のことはあまり考えなかったことをどんなに嘆くことでしょう。なぜなら、裁きを受けるのは自分であって、他人ではないからです・・』。
今日の聖書の言葉は、第1朗読がこの世の虚しさについてのコヘレトのことばで、第2朗読のパウロの手紙は「上にあるものを求めなさい」と言い、福音は富を蓄え安心している愚かな金持ちの話です。わたしたちは金持ちでないかもしれません。しかし大切なことに気づかず生活しています。聖ヴィアンネは『人々は死の時になって・・・自分の罪のために泣くことに時間を使うかわりに、快楽や無駄話や休息に時間を浪費したことを、どれほど嘆くことでしょう。その時になって、天国のために何一つしていなかったことに気づくのです・・・』と言っています。明日8月1日が記念日の聖アルフォンソ・リゴリ司教教会博士は『わたしたちの救いのすべては、祈りにかかっています』という有名な言葉を残しています。聖アルフォンソは「キリスト教の信仰の真理は、肉の目で見ることはできませんが、黙想するとき、霊の目をもって、これを悟ることができます。信仰の真理を黙想しない人はそれを見ず、したがって暗闇の中を歩くことになります」と言っています。
みなさんよい祈りをしてください。キリスト信者の質は祈りの質によって決まります。お願いの祈りだけでなく、黙想の時間をとってください。神さまの前に自分を置いて、雑念を追い払って、静かな環境で、神の声を聞くようにしてください。そうすれば多くのことがわかってきます。キリスト者として、質の良い、神に近い者になってください。わたしたちはしっかり目を覚ましていて、大切なポイントを抑えておかなければなりません。自分は何者で、どこに向かっているのか、いまもっとも大切なものは何かなどです。人間の一番大切なことは魂の救いです。そのためにキリストはこの世に来られました。愚かな、名前だけのキリスト信者にならないでください。目を覚ましてください。