今日の福音は「ペトロの信仰告白」と「最初の受難予告」の個所です。今日の福音の最初の言葉は、「イエスがひとりで祈っておられたとき」です。ルカ福音書は、ひとりで祈るイエスの姿を度々わたしたちに伝えています。イエスは重大な決断をするとき、大切なときに、独りで祈っていました。したがって今日の受難の予告、さらに「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」という言葉がとても大切だったとがわかります。
「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの質問に、ペトロは「あなたは神からのメシアです」と答えました。ペトロはイエスこそイスラエルの解放者であり、革命をおこす方と期待をかけていました。しかしイエスは自分がメシアであることは公に広めないように命じ、さらに「自分は殺されて復活することになっている」とまで話されます。これは弟子たちにとっては理解できないことでした。メシアなら敵を打ち滅ぼし、勝利の栄冠を手にするはずではないかと思われたからです。マルコ福音書では、この後ペトロはイエスを脇へお連れしていさめたため、イエスから「サタン、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と叱られています。弟子たちにはメシアならそれを公にして華々しくデビューしてほしとの思いがあったのですが、イエスは、それは人間の考えで、神の思いとは違うこと。また弟子たちには「自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と言われています。
キリストの受難と死、さらに復活はメシアであるキリストの本質的任務でした。それと同時に、キリストに従うすべての信者の生き方にもなっていくものです。ルカだけが「日々、自分の十字架を背負って」と書いています。この「日々」は明らかに特別な状況で起こるようなことではなく、毎日の生活の中で自分に死ぬことを指しています。
先週まで舛添東京都知事のニュースが話題になっていました。自民党はこの問題が参院選まで尾を引くのを恐れ、「舛添の巻き添えはゴメンだ」と、さっさと彼に引導を渡したようです。政治の世界はもう6月22日公示―7月10日投開票の参院選に向けて各党の動きが本格化しています。各党は選挙にむけて、自分たちこそ日本を良くするとさかんに宣伝します。中には本音を隠している人たちもいます。騙されないように気をつけなければなりません。人間のほんとうの救いは、政治的な権力や経済力や武力によってもたらされるものでないことは知っています。永遠の命は、国からではなく、キリストの救いのわざによって神が与えてくださるものです。そしてわたしたちが自分を捨て、日々、自分の十字架を背負ってイエスの後についていくことも大切なことです。イエスの後についていくこと、また、自分が損をし、恥ずかしさを忍び忍耐すること、我慢することも大切です。身勝手な勝手気ままな生き方をして「サタン引き下がれ、それでも信者なのか」と言われないようにしましょう。イエスのように「ひとりで祈る」ことを大切にしてください。
お父さんたち、今日は父の日おめでとうございます。