今日は主の昇天を記念します。わたしはパソコンの画面をよく確認しないで入力していたら、「主の昇天」が、お笑い番組の「笑点」の漢字に変換されていました。先日、「座ぶとん一枚」で有名になった笑点の初回からのメンバーだった桂歌丸が、今月22日の番組を最後に引退するというニュースがありました。テレビの笑点は50年も続いている長寿番組です。でも、教会の方の主の昇天は、もう2000年も続いて祝われています。

イエスの昇天はマルコとルカ福音書そして使徒言行録に記述があります。イエスは復活のあと40日にわたって使徒たちに現れ、神の国について話され、最後に彼らといっしょに食事をした後、エルサレムに留まり聖霊を待ち望むように指図し、オリーブ山で天にあげられます。イエスはご自分の務めを果たし、御父のもとに戻ります。しかし、これは別れではありませんでした。主は新しい形で、永遠にわたしたちのもとに留まっておられます。復活した主は、ご自分が天に昇ることを通して使徒たちの目を、そして わたしたちの目を天の高みに向けます。それは、わたしたちの旅の到達点は御父であることを示すためです。昇天なさったイエスは、目には見えなくなっても、わたしたちの側にいて導いてくれます。わたしたちが倒れたときには、手を取って起こしてくれます。

先日、「主の昇天」の大祝日を迎えた5月5日、教皇フランシスコは、「いつくしみの特別聖年」の公式行事として、慰めを必要とするすべての人のために、夕方、聖ペトロ大聖堂で「涙を拭くための祈りの集い」をとり行いました。この集いには南イタリア、シラクサから「涙の聖母」の聖遺物が聖ペトロ大聖堂に運ばれ、教皇は講話で、『世界ではなんと多くの涙が流されていることでしょう。涙を集めた絶望の大海の中で憐れみや、同情、慰めを求める多くの人々に思いをはせましょう。わたしたちに必要なのは神から来るいつくしみと慰めです。この苦しみの中で わたしたちは決して独りではありません』と話され、迫害されるキリスト教信者、死や拷問・隷属状態にある人々、戦争・テロ・暴力の犠牲者たちのためなど、あらゆるところで苦しんでいる人たちのために、祈りが捧げられました。視野を広く持ち、苦しむ人たちのために祈ることは、わたしたちのとても大切な努めです。

今日は母の日です。お母さま方、おめでとうございます。母の日は、日頃の母親の苦労を労り、母親への感謝を表す日です。日本やアメリカでは5月の第2日曜日に祝いますが、その起源は世界中で様々であって日付も異なるようです。スペインでは5月第1日曜日、フランスやスウェーデンでは5月の最後の日曜日、イギリスでは四旬節第4主日に母の日を祝い、ロシアは11月の最終日曜日。お隣の韓国は母の日や父の日はなく、5月8日が親の日だそうです。渡辺和子シスターの本に、真宗の高僧、暁烏敏(あけがらすはや)の『十億の人に十億の母あらむも わが母にまさる母あらなむや』という歌が紹介されています。「親孝行したいときには親は無し」という川柳があります。みなさん、お母さんがまだ生きているなら大切にしてください。もう亡くなっているなら、あの世で、母親が喜んでくれるよう、何かを工夫した生き方をして、どうか安心させてあげてください。