わたしは、一昨日の昭和の日に、司祭叙階式があって札幌に行ってきました。札幌教区での新司祭誕生は8年ぶりだそうで、新司祭の佐藤謙一神父さんは1966年生まれの今年50歳になる方でした。間野神父さんが、佐藤新司祭に初ミサを8月最後の日曜日に旭川であげてくれるように頼んでいました。叙階式の日は道東やオホーツク海側では積雪のあった日で、旭川でもみぞれが降りましたが、札幌に着くと桜が咲いていて、もう春だなぁと感じました。

今日から聖母月です。どこの教会でも、今月はみんなでロザリオの祈りを唱えると思います。1965年4月、第二ヴァチカン公会議が終わろうとしていた時に、教皇パウロ6世はメンセ・マイオという回勅を出されました。その中で、聖母月に、公会議の成功のため、平和のため、世界の指導者のために、マリアの助けを求めて祈ってほしいと願い、「この月の間、キリスト者は教会堂においても家庭においても、おとめである母に、よりいっそう熱心で愛に満ちた名誉と尊敬のわざをささげます…この習慣は幸いなるおとめを喜ばせ、また、キリスト者にかくも豊かな利益をもたらすのです」。と述べています。2003年に教皇ヨハネ・パウロ二世は「おとめマリアのロザリオ」という使徒的書簡を出され、ロザリオとは何か、どう祈ったらいいか、新しく付け加えた「光の神秘」について説明されています。機会があれば、こういった本を勉強してからロザリオを祈るならもっと恵み多い聖母月を過ごすことができると思います。

さて、今日の福音は、復活節も残りわずかになり、二週間後は、聖霊降臨の主日になるので、イエスが、ご自分が昇天してからのことを説明している箇所です。イエスは聖霊のことを弁護者と呼びます。また聖霊はイエスの語られたすべてのことばを、「教え、思い起こさせ」ます。聖霊はわたしたちを導いてくれます。どうしたら聖霊を受けることができるかと考えたら、わたしがすぐに思い浮かべたのは、聖霊降臨の出来事です。聖霊は、使徒たちと婦人たち、イエスの母マリアとイエスの兄弟たちが、心を合わせてひたすら祈っていた時に与えられました。聖霊は来てくださいと祈り求めるものです。足りなくなったら自動的に補充されるものではありません。また聖霊はわたしたちが神のみこころに適わないことをしていれば、わたしたちのところから出ていきます。こんなふうに考えるのはおかしいかもしれませんが、聖霊は出たり入ったりして、どこか、お金と似たところがあると思います。昔、サラリーマン川柳に「すぐ家出、諭吉は我が家の問題児」という句がありました。つい、先日の(4/26)毎日新聞には「不意に来て居着く諭吉はおらんのか」という川柳が載っていました。お金を貯めたいなら、無駄使いをしないで、節約し、一攫千金を夢見るよりは地道にコツコツと働くことが大切だと思います。

今日の福音には聖霊の約束だけでなく、「わたしを愛する者のところに、父とわたしは行って住む」という約束もあります。罪は避け、神の喜ぶ良いことを行い、祈りを大切にし、聖霊にとって居心地のよい場所を準備するようにしましょう。神さま大好き!と、口先で言うだけではなく、行いと真実を持って愛を示し、聖霊に居着いてもらいましょう。