復活節第4主日には、毎年ヨハネ福音書10章の羊と羊飼いのたとえが読まれるので、「良い牧者の主日」と呼ばれ、よい牧者の召し出しを願う世界召命祈願の日にもなっています。今年の「世界召命祈願の日」のメッセージで教皇は、「教会はいつくしみの家であり、召命が芽生え、育ち、実を結ぶ『土地』でもあるのです」と述べ、司祭職または奉献生活への召命は、キリスト教共同体の中で生まれ、その中で育つものなので、共同体の支が必要なのです、と指摘しています。
わたしは、よい牧者のことを考えると、教皇フランシスコが2013年3月に教皇に選出されたすぐ後の聖香油のミサで、「よい羊飼いであるイエスが人々の中にいつもいたように、あなたがたも羊のにおいのする司牧者になりなさい」と言われたことを思いだします。これは、そのミサを共同司式した1600名の司教と司祭にむけ、司牧者たちは、どんどん人々の中に入っていき、神の民の先頭を歩み、道を示し、誰も落伍しないように見守り、新しい道を見つけるまでは、神の民のにおいを忘れないようにしなさい。さらに、羊の声に耳を傾け、仕えるときは謙遜を第一にし、質素に生活し、人に説くことを自ら実践しているかどうかを問い、群れとともに歩みなさい。と言われたのです。
司祭も人間なので、弱さも欠点もあります。できるだけ主イエスの後についていけるようみなさんの祈りで支えてください。また、みなさんの、心配、問題、苦しんでいること、嬉しいことなど、何でも司祭に伝え、みなさんの匂いを司祭につけてください。羊であるみなさんが、牧者など関係ない、好きなようにやると言って、メェーメェー勝手なことをしていたら、ひとつの群れになっていきません。共同体もダメになります。
この季節は復活節なので、♪『あたーらしい こひーつじ すぎこしーのいけにえアレールーヤ」と教会で歌うことがありますよね。以前の教会で、入祭の歌でこの曲が歌われたとき、わたしは歌いながら祭壇に向かっていて、『うちの教会の子羊は、古い方の古羊ばかりだな』と思ってしまいました。頑固な羊、癖の悪い羊、訳ありの羊など、羊の群れの中にもいろいろいるので、牧者も疲れることがあります。とにかく牧者も羊もそれぞれに弱さがあり祈りが必要なのです。
イエスは、人々が牧者のいない羊のようなありさまを見て深く憐れまれました(マルコ6.34)。今年は「神のいつくしみの特別聖年」ですが、神がいつくしみ深い方なので、わたしたちにイエスを遣わしてくれました。
憐れみとかいつくしみについて、先日おもしろい文章を見つけました。「恵み、憐れみ、慈しみ」の三つの「み」は上から与えられるもので、これを「天国の三位一体」というそうです。これに対して、「ひがみ、ねたみ、そねみ」は地獄の三位一体で、さらに「りきみ、たるみ、いやみ、くさみ」が加わると七味唐辛子みたいになります。人から出る「み」が地獄をつくり出し、上から与えられる「み」が天国を生み出すようです。
(山北宣久著、福音と笑いこれぞ福笑いより)。いつくし深い神に信頼してついていきましょう。