放蕩息子の話はルカ福音書だけに書かれています。イエスはファリサイ派の人々や律法学者たちが、イエスが評判の悪い人と仲良くしていると非難していたので、神は罪人の回心を喜ばれる方であることを教えるために、放蕩息子のたとえ話をしています。

教皇フランシスコは、いつくしみの特別聖年公布の大勅書の中で、いつくしみの聖年の四旬節のあいだに、みんなが、ゆるしの秘跡によって御父に立ち返るように勧め、聴罪司祭には、放蕩息子の父親のように、信者をいつくしみ深く迎え入れるよう勧めています。みなさん、今年の四旬節は、今まで告白しづらかったこと、恥ずかしいことも告白するチャンスの年ですよ。ゆるしの秘跡はもう一度やり直すチャンスになります。

以前、わたしは札幌の老健施設に週二回リハビリに通っていました。あるとき、そこの理学療法士さんから、「山本さん、もし20歳くらいまで戻れたら、もう一度今の仕事につきますか?」と聞かれました。わたしは、「もしやり直しができるならもう一度初めからやり直したい」と答えました。

彼はたくさんの人に同じ質問をしてみて、今度は別のことをやりたいと答える人が多いと言っていました。そして「神父ってそんなにやりがいのある仕事ですか」と聞かれました。わたしはもし戻れたらと考えたことはないですが、いつも、初心に返りもっと真面目にやらなければと思っているので「もう一度」の答えになったのかもしれません。

皆さんはもし昔に戻れたらキリスト信者をもう一度選びますよね。もうなりたくないと言われたら困ります。以前テレビで、もしもう一度結婚できるとしたら今の配偶者を選びたいかという質問の答えには、男女差があって、女性の方がシビアな答えをすると言ってました。「プロポーズあの日にかえって ことわりたい」

わたしたちは、自分がいつも許されている、神様はもう知らないといって見捨てることなく自分に関わってくださるので、たいへんありがたいと感じています。しかし、人に対しては放蕩息子の兄のような冷たい見方をしているかもしれません。イエスは優しい父親と対比させて、冷たい態度をとる兄をファリサイ派の人々や律法学者たちに見立てて話を作っています。気をつけていなければ、わたしたちは自分のことを忘れ、弱い立場にある人、いろいろな事情のある人を冷たい目で見下してしまいます。

この話の父親は、弟の性格を知っていてその子に金を持たせるとどうなるかも予測できたのに、好きなようにさせています。またこの弟は、お金がなくなり、生活が苦しくなったらぬけぬけとまた父親のところに帰ろうと思っています。「いまさら、オヤジのところには帰れない」とは考えないのです。この調子のいいデタラメな息子は神の前のわたしたちの姿、そして甘すぎる父親は神です。イエスは好き勝手なことをして神から離れていくことを奨励しているわけではありません。この弟も兄も神の喜ぶ生き方をしていません。四旬節は父のもとに帰ろうと考える時です。

旭川では19日の聖ヨセフの祭日に「共同回心式」のミサがあります。また主日のミサの前後にも司祭は待機していますので、こういった機会を利用して父のもとに帰ってきてください。

※3月19日(土)聖ヨセフの祭日 18:00より、カトリック旭川五条教会に於いて
ミサの中で「共同回心式」が執り行われます。