四旬節は、公生活に入る前のキリストが荒野で40日間の断食を行ったことを思い起こし、復活祭までの主日を除く40日間、悔悛し、祈り、断食や節制、施しや愛徳の実践を通して、キリストの復活の記念に与る準備をする期間です。そして四旬節は、灰の水曜日から始まります。四旬節は今日から始まって聖木曜日の「主の晩さんの夕べのミサ」の前まで続くことになっています。四旬節には三つの特色というか、目的があります。第一は約6週間かけて復活祭を準備します。復活祭は大事なお祝いなので準備にも長い時間をかけます。第二は、洗礼志願者たちにとって特別な期間になります。洗礼を希望する人たちは、この期間に、教会共同体とともに洗礼の準備をします。第三は、信者たちがすでに受けた洗礼の恵みを新たにする期間です。
今日の福音は、イエスが当時の熱心な人たちが行っていた、施し、祈り、断食について、大切なことは、人にどう見せるかではなく、神さまにどう思われるか、なので、そのやり方を変えなさいと言っているところです。
わたしは、幼稚園でいつも、園児たちに、「お祈り」「親切」「がまん」について話しています。施し、祈り、断食と似ている気がします。子どもたちに、「優しい人、親切な人、立派な人は、何かできる人や、頭のいい人ではなく、お友だちのことを考えてあげる人です。自分のことしか考えない人は、まだ赤ちゃんです。お友だちと仲良くするためには、ちょっとがまんして、お友たちにも遊具を貸してあげることも大切です。みなさんはできますか?と聞くと、園児たちは「はーい」と元気よく返事をします。
一昨年の灰の水曜日に、教皇フランシスコは、「いのちの価値は他者に認められることや成功することではなく、内面にどれほどのものを持っているかによってきまるのです。」と説教され、祈りは、キリスト者の力、信仰を持つ全ての人の力です。四旬節は祈りの時、より多くの祈りの時間をとり、より熱心に祈る時であり、兄弟たちの必要性をより多く背負う、取り次ぎの祈りの時です。と述べました。断食については、断食することが他者への益を生み出し、困難にある人々に身をかがめ、よきサマリア人のスタイルを培うのなら、意味のあることです。と言われました。施しについては、施しは神からすべてをただで受けたこと、つまり何かの功績に寄らずに受けたことを自覚し、他の人々にタダで与えることを学び、所有欲からの解放、持っているものを失う恐れからの解放、自分の財産を他の人々と分かち合うことを望まない人の、悲嘆からの解放であると述べられました。最後に、四旬節は摂理的に、わたしたちを目覚めさせ、しびれや惰性に流されて進む慣れから抜け出して頭をはっきりさせるためにあります。と説教されました。
目を覚まし、惰性に流されることなく、洗礼志願者のような気持ちで、この四旬節を過ごしましょう。