サンフランシスコで
― 告解か、告白か、ゆるしの秘跡か 

到着してすぐに街を歩いてみました。そしてご夫婦に声をかけられ、道を尋ねられました。「日本から来たばかりです」と答えると「自分たちもテキサスから出て来たばかり」と言い、笑い合いました。サンフランシスコの街の思い出です。

教会が目についたので訪ねると、神父さまが、近くに日本人の集まる教会へ連れて行ってくれました。行く予定はなかったのですが、ご親切を受けて、案内してもらいました。そして、そこの主任司祭に紹介してくれたのです。この神父さまは「あなたは、ちょうど良いところに来てくれた」と、明日のミサ参加と共同回心式を手伝ってほしいというのです。

翌日言われたとおりにしました。部屋で待っていると、次々に日本人女性信徒が来ました。その内容は、家庭の事情、夫や子供との関係でした。結婚して、多分、結婚前に洗礼を受けてサンフランシスコに来た人たちでしょう。日本人女性信徒たちでした。皆さん、カトリックの信仰とミサのことを、初めて聞いたような感じの信徒たちでした。
とにかくお話を聴いて、祝福を贈りました。ゆるしの言葉と薦めも贈りました。私は心の打ち明け話を聴くことに、意味も価値もあることを知りました。叙階後2年目のころの体験です。終わって出てくると、聖堂にはだれもいませんでした。そのまま滞在先のフランシスコ修道院に、歩いて戻りました。あとで神父さまは、私が何者なのかと思ったのではないでしょうか。どう思いますか?

その翌日月曜日、朝食後に、院長が「誰かこの日本人兄弟を空港に送ってくれないか?」と呼びかけましたが返事はありません。「ティモシー、お前が送ってくれないか」。ティモシー神父は、暗い顔をしている人でした。でも承知をしてくれました。車中でティモシーも話をしました。私はよく理解できたわけではありません。でも聴いて、聴いて、聴いて、空港で別れました。
ティモシー神父さまのことを覚えています。どう思いますか?
一緒に車に乗って、耳を傾けただけです。
私も、イエスさまに乗っていただきましょう。一緒に歩いていただきましょう!

聖書箇所:以下を、読んで、あるいは思い起こして、思い巡らしましょう!
★ ヨ ハ ネ 1:43-52 「フィリポとナタナエル イエスと出会う」

★ ル  カ 24:13-27 「エマオの旅人とイエス」