今日は世界宣教の日にあたっています。教皇レオ14世は、先日ビデオメッセージで、世界宣教の日曜日には、全教会が一致して、特に宣教者たちとその使徒的働きの豊かな実りを祈ります。と呼びかけました。

 今日の福音はルカ福音書に書かれている不正な裁判官の話です。イエスはこのたとえ話で、神を畏れず人を人とも思わない不正な裁判官でさえ、やもめの「しつこい」訴えには根負けして裁判を行うと話しました。この話を通してイエスは、神は私たち選ばれた者たちの祈りを、不正な裁判官よりも速やかに、さらに適切に聞いてくださることを強調し、諦めずに絶えず祈ることの重要性を教えています。 第1朗読は、エジプトを脱出したイスラエルの民が荒れ野でアマレク人と戦った時、モーセが手を上げて祈った話です。丘の上に登ったモーセが手を上げて祈っていた間はイスラエルが優勢で疲れて手を下ろすと敵が優勢になったので、二人の従者がモーセの手を支えていた話です。日本では手を合わせて合掌して祈ることが多いのですがキリスト教では手を上げて祈るという習慣があります。パウロはテモテへの手紙で男たちはきよい手を上げて祈りなさい(テモテへの手紙 第一2:8-15)と書いているところがあります。ミサの時司祭は「主は皆さんと共に」と手を広げて祈りへと招き、その後両手を広げて祈願を唱えます。その時は両手をバンザイの形ではなく、肩の高さで手を広げ腕は天に向けます。この動作には一応決まりがありますが司祭によって個人差があります。(小柄な司祭は手を大きく広げる人が多い気がします)。モーセの祈ったように手を上げて祈ることはすごくきついことです。わたしはフランシスコ会の小神学校に入った志願者の頃に、毎晩、寝る前の祈りは聖堂で手を広げてみんなで主の祈りをたぶん7回唱えました。これが手が重くなってきて堪えるのが大変でした。ある時、腕に蚊が止まったのが分かったけど、追い払いませんでした。今ならパチンと叩いて続けていたと思うけど、その頃は真面目で真剣でした。

 祈る時はどんなスタイルがいいかではなくどんな気持ちで祈るかが大切です。信頼してお任せして、しつこく願うことが必要です。教皇の意向や教会の意向を考えてみてください。カトリック・カレンダーには毎月の日本の教会の意向と教皇の意向が載っています。今月はロザリオの月です。レオ14世教皇は今月は平和のために毎日ロザリオを祈るよう願っています。それから祈りが自分勝手なわがままなお願いにならないために祈りの本を使うことが大切だと思います。高齢の方で骨が脆くなって骨折する人がたくさんいます。祈りをしっかりしていれば信仰もしっかりした人になれると思います。自分のためだけでなく周りの人たちのためにたくさん祈る人こそしっかりした信者さんでないかと思います。*(O)

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