今日の福音の始めの「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」という厳しいことばは、今が決定的な決断の時であることを表しています。聖書と典礼の解説にはこのように書かれています。そして、火は、はっきりした意味は不明だが、聖霊との関連が考えられる。と解説されています。昔わたしはある集まりで今日の福音の分かち合いをしたことがあります。その時お母さんについて来ていた一人の子どもが「火は危ないから気をつけよう」と自分の感じたことを言ってくれて、子どもらしくて可愛らしい発言だと思ったことを思い出しました。8月15日の終戦記念日が近づき、最近は広島や長崎の原爆の日があってテレビで平和についての番組が多くなります。先日の夜わたしは永井隆博士の番組を観ました。彼が書いた「長崎の鐘」という本は、当時はまだGHQの検閲があって、アメリカの落とした原爆は国際法に違反する非人道的兵器だなどと書くことができなくて、永井隆は原爆の悲惨さを書くことしか出来なかったそうです。そしてGHQはアメリカの落とした原爆だけではなく、日本軍がフィリピンで行った残虐な行為を書いた「マニラの悲劇」という記事をつけるならば発行を認めると許可したそうです。永井隆さんは放射線科の医師だったので放射線が人間の医療だけでなく、殺戮にも大きな力を持っていたことに驚いていたようです。今日の福音でイエスは、自分は地上に火を投ずるために来た。その火が燃えていることを切に願っていると話されました。またこの火はイエスの受難と死によってもたらされるものだと言っています。わたしたちはイエスが説いた愛の教えをもっと広げていく努めがあります。8月15日は終戦記念日です。戦争が終わった頃は誰もが戦争は二度とあってはならないと感じたはずです。そして日本の憲法にも戦争を放棄することが書かれて平和憲法ができました。しかし今憲法を改正しようとする動きがあります。原爆を落とされたから、核廃絶を訴える人たちがいます。でも世界中に核兵器が拡散しています。わたしたち人間は反省してもすぐにもっと悪いことを考えてしまいます。どこかで戦争があれば武器を製造販売している人や国が儲かる仕組みになっています。先日、終戦間際に日本中の都市に落とされた焼夷弾の記事を読みました。
太平洋戦争末期、米軍による日本空襲で40万人もの市民が犠牲となり、67の都市が焼き払われました。原子爆弾が落とされた広島と長崎を除けば、主に使われたのは焼夷弾でした。これは簡単にいえば、攻撃目標を効率よく焼き払うために、燃焼力の高い物質を詰め込んだ爆弾でした。この爆弾は第1次大戦後のワシントン会議で、非戦闘員である一般市民を対象にした空爆は禁止されました。それは条約化こそされなかったが、第2次大戦の勃発時には、各国の指針として機能していました。ところがアメリカは日本との戦争が始まり、日本の住宅の構造が非常に燃えやすいこと、都市の建造物の稠密度がきわめて高いこと、日本では工場と軍事目標が住居地区に隣接していること、などの理由で東京大空襲などが行われたようです。
戦争で破壊し焼き尽くす火は地獄の火と同じです。わたしたち人間は愛の火をこの世界に投じていかなければなりません。悲惨な体験をしてもすぐに忘れてしまう人間が情け無いです。前の戦争でダメージを受けたユダヤ人たちがいまパレスチナのガザ地区で無慈悲な殺戮を続けています。人間って本当に罪深くて愚か者だと思います。今日の共同祈願の結びの祈りは「全能の神よ、わたしたちの心に愛の火をともし、力強く導いてください」で始まっています。心を込めて一緒に祈りましょう。
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