今日の福音は有名な「善きサマリア人のたとえ話」です。ある律法の専門家が「先生、何をしたら永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」と聞いてきたので、イエスは彼に「律法にはなんと書いてあるか」と質問しています。イエスは彼に隣人とは誰かを教えるためにこのたとえ話をしました。強盗に襲われた人にとっての隣人はサマリア人でした。イエスは彼に「あなたも同じようにしなさい」と教えています。このたとえ話から、イエスは「隣人とは誰か」という問いに対し、血縁や宗教、民族に関わらず、困っている人を助ける人が隣人であり、わたしたちもそのように行動すべきだと教えています。わたしはマタイ25章の最後の審判の時、天の国に入れてもらえるのは、「わたしが飢えていた時に食べさせ、渇いていた時に飲ませ、旅をしていた時に宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢屋にいたときに訪ねてくれたからである」と言われる人であることを思い出しました。先日、7月4日はアメリカの独立記念日でした。わたしはその日、トランプ大統領の演説を聞きました。4日に公約としていた大型減税などを盛り込んだ「一つの大きく美しい法案」に署名して成立させ、また軍事パレードをして、6月下旬のイラン核施設攻撃については「史上最も完璧な軍事作戦」だと強調していました。また、6月下旬の北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で加盟国の防衛支出を国内総生産(GDP)比5%とする新たな目標で合意したことにも言及し、アメリカが偉大な国になり「久しぶりの」特別な独立記念日になったと自慢していました。わたしはトランプ大統領の演説を聞いて、ルカ18章にある、祈るために神殿に上ったファリサイ派の人と徴税人の祈りを思い出しました。正しいとされて家に帰ったのは自分がどれだけ立派であったかを祈ったファリサイ派の人ではなく徴税人の方だったのです。「善きサマリア人のたとえ」は、人は誰でも隣人になりうる、つまり、助けを必要としている人に対して、分け隔てなく親切に接するべきだということをイエスは教えています。このたとえ話に出てきたレビ人と祭司にはそれぞれ助けたくない理由があったと思いますが、隣人は自分の都合ではなく、いま助けを必要としているその人の必要から決まるのです。
先週の日曜日に、イエスが72人の弟子たちを宣教に遣わした福音だったのに、わたしは7月1日が記念日だった日本の殉教者たちの話だけをしました。それでお詫びに教皇レオ14世の先週の日曜日のお告げの祈りの時の言葉で結びます。「親愛なる兄弟姉妹の皆様。教会が必要としているのは、宣教の場で働くことを望む働き手、神の国をあらゆるところであかしする、愛する弟子です。
今日の福音は宣教の重要性をわたしたちに思い起こさせます。わたしたちは皆、それぞれ自分の召命に応じて、主が置いてくださった具体的な状況の中で、宣教へと招かれています。日々、神の畑で働き、心の中で福音の種を育て、それを日常生活、家庭、職場、学校、さまざまな社会的環境の中で、また困っている人に伝える人は少ないのです。そのために、何よりもまず必要なのは、収穫の主に祈ることです。すなわち、第一に重要なのは、主との関係であり、主との対話を深めることです。そうすれば、主はわたしたちをご自分の働き手とし、み国の証人として世の畑に遣わしてくださいます」*(O)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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