今日の福音は「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」。というキリストの言葉が出てきます。わたしたちが人を愛することができるためには、イエスの愛がどのような愛だったかを知ることが大切です。そしてもうひとつイエスのように祈っているかを知ることが大切です。イエスは小さい者や弱い立場の人に積極的に関わり、いつも彼らの支援をしました。「医者を必要とするのは健康な人ではなく病人である」と言われました。受難の時には、エルサレムの婦人たちの心配をし、自分を十字架につけた人のために祈りました。また弟子たちの信仰がなくならないように祈り、受難の予告の後には、彼らが躓かないように、変容したご自分の姿を見せ、人に奉仕することを教えるために、彼らの足を洗い、さらに復活されてからは、復活を信じられなかったトマスのためにもう一度現れています。愛についてはさまざまな切り口から話すことができます。パウロはコリントの教会への手紙で、愛の讃歌と呼ばれる言葉を残しています。

 『わたしはあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。(中略)愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない(1コリント12章13節31b〜13章8a節)』。

 また「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」という言葉は、ヨハネ福音書に書かれているイエス・キリストの言葉です(ヨハネ15.13)。

 わたしは、河野進さんという牧師の「ぞうきん」という詩集の中の『強い者』という詩を思い出しました。

 「強い者は弱い者の重荷を負い  強い者は悲しむ者を助け  強い者は病む者を助け  強い者は倒れた者を起し  強い者は貧しい者に施し  強い者は親のないこどもを抱き  強い者は孤老の話を聞き  強い者は謙遜に仕えよ」。

 本物の愛は決して、威張ったり偉そうに振る舞わないはずです。わたしは最近、自分たちの国は豊かで強いと思って威張っている人物を残念に思います。その人が、本当の愛がどんなものかを分かってほしいと思います。もうひとつ河野進さんの『あの人』という詩を見つけました。

 「いつ会っても  明るい感じの人に  いつ会っても  和やかな感じの人に  いつ会っても  さわやかな感じの人に  いつ会っても  安らかな感じの人に  いつ会っても  楽しい感じの人に  いつ会っても  清らかな感じの人に  いつ会っても  親しみ深い感じの人に  いつ会っても  うれしい感じの人に」。

 わたしは、世の中や教会にこんな人が増えてほしいと思いました。*(O)


ぞうきん 河野 進 著

 

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