みなさん主のご復活おめでとうございます。今夜の典礼は、「復活の聖なる徹夜祭」の典礼です。初代教会のころから、夜を徹してキリストの復活を記念する典礼が行われていました。たいへん長いので、説教は短くします。今夜の典礼は、「光の祭儀」、「ことばの典礼」、「洗礼と堅信」、「感謝の典礼」の四つの部分から構成されています。この典礼では、火、水、復活のローソクなどキリストの復活と新しいいのちを象徴するシンボルが多く用いられます。二、三日前にわたしは、高野山でたくさんの僧侶が夜通し念仏を唱える儀式をしている番組をみました。その時、火を焚いて供物を捧げ、煩悩を焼き払って願いを叶える護摩という儀式をしていました。わたしはどの宗教でも火を使い、夜を徹して祈る修行があるのだなと思いました。復活徹夜祭の大きな特徴は、初代教会のころから洗礼式が行われることでした。洗礼は、受難と死を通して復活したキリストの過越にあずかり、一人ひとりが古い自分に死んで、復活したキリストの新しいいのちに生まれる「過越」です。したがって、一年のうち最も盛大にキリストの過越を記念するこの夜こそ、洗礼式のためにふさわしい時と考えられてきました。
わたしは今から60年前の復活徹夜祭の時に洗礼を受けました。18歳の高校3年生の時でした。その頃の教会はいつも人で溢れていました。わたしは学校帰りに、いつも教会によっていました。青年会や高校生会も人でいっぱいでした。1965年4月18日の復活徹夜祭、その日いっしょに洗礼を受けた仲間は8人でした。真夜中のミサで洗礼式が行われたので、朝になって一緒に洗礼を受けた佐藤宝倉神父さんと二人で、洗礼のローソクを持って、教会の玄関で撮ってもらった写真には、まだ雪が残っていて、わたしは長靴を履いていました。わたしは自分がもしキリストと出会わなかったら、どんな人生になっていたのだろうかと考えてみました。わたしは洗礼の翌年、司祭になりたいと思い、洗礼から11年後の1976年に司祭に叙階され、いまこの年になってしまいました。キリストのように、自分を与え尽す生き方をしたいと思いつつも弱い自分をいつも感じています。歳をとることは仕方がないことですが、日々自分に死んで、新しいいのちを待ち望みたいと思っています。みなさん、今夜はキリスト者としてスタートした自分の洗礼のめぐみについて考えてみてください。古い自分に死んで、キリストとともに新しいいのちをいただいていきましょう。イースターをきっかけにもう一度、いいスタートにつきましょう。*(O)
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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