今日の福音の箇所は、イエスの姿が山の上で光り輝いた「主の変容」の出来事です。毎年、四旬節第2主日に主の変容の出来事を思い起こすことは昔からの教会の伝統です。この栄光のイエスの姿は、これからイエスが受難と死をとおってお受けになる復活・昇天の姿を弟子たちに垣間見させ、同じ道に弟子たちを招くものでした。四旬節には、洗礼志願者の準備、回心とその具体的な表れとしての「祈り・節制・愛の行い」など、さまざまなテーマがありますが、そのすべては、今日の福音のテーマである「イエスの死からいのちへの過越にあずかること」とつながっています。今日の福音の冒頭は省かれていますが、この出来事は、イエスの最初の受難の予告のすぐ後に起こりました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている(ルカ9.22)。ここに登場するモーセは律法を代表する人物、エリヤは預言者を代表する人物です。「律法と預言者」は旧約聖書の主要部分を表す言葉です。ルカ福音書では、この三人の話し合っていたことが「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について」(ルカ9.31)であったと伝えられていて、イエスの受難・死・復活が聖書に記されて神の計画の中にあることを、他の福音書以上にはっきりと示しています。ペトロは何が何だか良くわからなかったけど、モーセとエリヤがイエスから離れて行こうとした時、ここに仮小屋を三つ建てましょうと提案しました。自分たちの先生がモーセとエリヤと語り合っている、このすばらしい光景が消え失せないように、三人の住まいを建ててこの場面を永続化させようと考えたからでしょう。しかし、この光景は永続するものではなく、一瞬にして消え去りました。今はまだ栄光のときではなく、受難に向かう時だからです。ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。(ルカ9.34)雲は神がそこにおられることのしるしです。雲の中から「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という声が聞こえました。受難の予告の中で「わたしについてきたい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9.23)と言われていたことと関連があります。受難の道を行くイエスに従っていくこと、これが今日の福音の呼びかけです。弟子たちはこれほど大きなイエスの光栄を見たのに、イエスが逮捕されたとき、皆逃げてしまいました。わたしたちはどうでしょうか。
明日3月17日は、日本の信徒発見の聖母の祝日です。この祝日は、キリスト教への迫害が少し穏やかになった1865年のこの日、十数名の男女が、建てられて間もない大浦天主堂を訪れ、プチジャン神父に「わたしたちは皆、あなたと同じ心です」と、キリスト教の信仰を持っていることを告げました。彼らは200年以上にも及ぶキリスト教への厳しい弾圧を、不屈の信仰をもって耐え忍んできた人々の子孫でした。わたしは自分が洗礼を受けた年が、ちょうどこの100年の記念祭が行われた1965年だったので、この記念日をなんとなく身近な祝日に思っています。
イエスに従うことは、受難と死をとおって復活の栄光に入られたイエスに倣うことです。わたしたちは、苦しみや辛いことも神さまに捧げる不屈の信仰を持っていたいものです。
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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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