最近の日曜日は、ルカ福音書の平地の説教と呼ばれているところが、順番に朗読されています。今日の箇所では、「盲人が盲人の道案内をすることができようか。」「だれでも十分に修行を積めば、その師のようになれる」とイエスは言っています。わたしはイエスが大工だったので、すぐにおが屑や丸太が目の中にあるというたとえになったと思います。ユダヤ人の表現では、目というのは心を表しています。目が濁っているということは、心が濁っていること。あるいは目が澄んでいるというのは、心が澄んでいると言っていることです。おが屑があるのは目ではなく心です。そして心が表れている行ないの中におかしなところがあるということでしょう。丸太が自分の心の中にあることはたいへんなことです。丸太は大きすぎて、とり除くことが難しいのです。丸太は重くて大きいので、火で焼くか、水に浮かせてとり除くしかありません。「火」も「水」も、聖霊の象徴です。神の恵みによって「丸太」はとり除くことが可能になるでしょう。
 
 先日、ロシアの侵攻によって始まったウクライナでの戦いが3年目を迎えました。世界中の人々が早く平和になってほしいと祈っています。わたしたちは真剣に「神さま愚かな戦いを終わらせるために、人間の心の中にある頑固な丸太を燃やしてください」と祈りましょう。わたしはロシアのプーチン大統領や偉そうにしているアメリカのトランプ大統領が、神さまの前でもっと謙遜に、自分は全能の神でも絶対者でもないことを考えて、悔い改めてほしいのです。まもなく四旬節です。四旬節こそ謙虚に自分を見つめ直す時です。

 わたしは今日の福音の丸太の話しで、イエスが親しくしていた家族のマルタとマリアの話を思い出しました。(ルカ10.38-42)働き者のマルタは、おもてなしのために忙しくしていて、イエスから「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配り、思い煩っているが、必要なことは、ただ一つだけである。」と言われています。またもうひとつ、わたしが美唄教会にいたころ、美唄教会に丸太さんという苗字の高齢の信者さんがいました。この方はひとり暮らしで、毎朝散歩で山に行っていて、そこでマンフレード神父さんと友だちになって教会に導かれた方でした。この方は単純で素朴な方でした。それでわたしは、人生の最後は神さまに導かれたのだと思いました。

 先日、今年の四旬節の教皇メッセージが発表されました。今年の四旬節は3月5日の灰の水曜日から始まります。今年の「四旬節」のメッセージのテーマは、「希望の中を共に歩もう」です。教皇はこのメッセージで、聖年の恵みで豊かにされたこの四旬節に、「希望のうちに共に歩む」ことの意味を考え、神のいつくしみが、個人そして共同体としてのわたしたちに向ける回心の呼びかけを発見するようにと招いています。どうぞ皆さん今年の四旬節をよく過ごせるように頑張りましょう。*(5)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
Facebook&Instagramからもご覧になれます。

カトリック神居教会Facebook
https://www.facebook.com/kamui.Catholic/

カトリック神居教会Instagram
https://www.instagram.com/kamui_catholic/