今日の福音はルカ福音書での、弟子たちの召し出しの話です。マタイやマルコ福音書では、イエスの活動のすぐ初めに弟子たちが選ばれたように書かれていますが、ルカ福音書では、福音を告げ、病人をいやすイエスの活動が始まって、しばらくしてから最初の弟子たちが呼び出されたことになっています。イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると群衆が周りに押しかけてきて、イエスは岸辺にあったペトロの舟に乗ってその上から話をされました。話が終わってから、ペトロにもう一度沖に漕ぎ出して網を入れて漁をするように言われました。ペトロは「わたしたちは夜通し苦労しましたが、何も獲れませんでした。しかし、お言葉ですから網を下ろしてみます」と言ってイエスの言葉に従いました。その結果たくさんの魚が網にかかり、網が敗れそうになり、もういっそうの舟にいる仲間に手を貸してもらいました。ペトロは自分が罪深い者なので「主よ、わたしから離れてください」と言いました。それから後、イエスはペトロに「今からのち、あなたは人間をとる漁師になる」と言い他のものたちも皆イエスの弟子になりました。わたしはシモン・ペトロが素直な人間だったと思いました。これが欲深い人間なら「先生、わたしたちと一緒に漁師になってください。そうすればわたしたちは苦労することなくいつも大漁で大金持ちになれて、偉大な漁師になれます」と言ったかもしれません。いまアメリカのトランプ大統領がアメリカを偉大な国家にすると言って、パリ協定から脱退して、わがままなことを言っているのを見ると、人間はみな罪人であり、謙遜でなければならないとつくづく思います。イエス・キリストに従うためには、まず自分が罪人であることを認めることから始まります。

 わたしは自分が召し出しを感じ、神さまに従った頃を思い出してみました。何か偉大なことができるなどと考えたことはありませんでした。洗礼を受けた2年後の1966年6月9日でした。大学に通う坂道を登りながら「そうだ!司祭になりたい!」と気づいたのです。どうしてなりたいかの理由は見つかりませんでした。そのことが嬉しくて、その日に教会に行って主任神父さんに「わたしは神父になりたいのです」と報告してきました。でもどうして司祭になりたいのか理由は見つかりませんでした。それから何日か後の日曜日に、「神さまを喜ばせたいから」と。自分が神父になりたかった理由を言えました。わたしは自分の召し出しは、神さまの方から呼んでもらったと思っています。ペトロやヨハネやヤコブの最初の弟子たちもイエスから声をかけられて、大喜びですべてを捨ててイエスに従ったみたいです。わたしたちはみな人を獲る漁師には召されていません。でも確実なことは、皆誰でも歳を取ることです。年齢に相応しく成長していきたいです。鈴木秀子シスターは、機嫌のいい老人になるように勧めています。気難しい面倒な老人ではなく、いつも機嫌のいい明るくあったかい人でいたいです。またこんなことばも書いています。「あなたが幸せでいれば、まわりの人によいエネルギーを与えます。あなたがいつも笑顔で、心に余裕があり、落ち着いて穏やかであれば、あなたのそばにいる人は誰もが心地よくなります。何も言わなくても、ただ一緒にいるだけで豊かな気持ちになります。」ですから、わたしたちはまず自分自身を幸せにすることから始めるべきです。自分は力不足で、足りない、何もできないではなく、いまこのいのちを授けられていることを感謝して、大事に生きることです。ミサに出て家に帰るとき、少しだけ自分が「人を獲るために」教会から派遣されていることを考えてみましょう。*(5)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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