教会の典礼暦で最初に来るのが待降節で、その次が主の降誕を祝う降誕節です。そして、今日の主の洗礼の日が、降誕節の最後の日曜日になります。明日からは年間の通常典礼に戻り、ミサの祭服も白から緑に変わります。ほとんどの教会はクリスマスの聖堂の飾り付けや外の電飾などを今日中に取り外します。わたしは子どもの頃、家の隣が神社だったので、松の内が明けて、境内で正月飾りやしめ縄などを燃やす、どんど焼きが、楽しみでした。いつも用もないのに、パチパチ燃える火のそばに行ってました。わたしが司祭になった頃は、まだ待降節の輪やクリスマスツリーには生の木を使っていました。降誕節が終わって聖堂を片付けるときに、教会のツリーも神社で引き受けてくれたら助かるなと都合のいい事を考えたことがあります。日本では、松の内を過ぎて片付けたお正月飾りは、基本的には神社に奉納して処分するみたいです。それは、お正月飾りの使いまわしは神様に失礼に当たると考えるからだそうです。教会ではクリスマスの飾りや馬小屋セットはまた翌年使うので降誕節の最後の日に毎年みんなで片付けをします。
 
 わたしは「主の洗礼」はイエスが神の子であることを顕現した出来事であると同時に、いよいよ神の国を述べ伝える公生活の初めの日を祝う日にあたると思います。イエスの洗礼はイエス・キリストの福音宣教の原点だとも言えます。神の子であるイエスがなぜ、洗礼を受ける必要があったのでしょうか。またイエスの洗礼には、どんな意味があるのでしょうか。さらにわたしたちの洗礼との関係は、なんなのでしょうか。イエスの洗礼については、四つの福音書に(マタイ3:13ー17、マルコ1:9ー11、ルカ3:21-22、ヨハネ3:22-36)記されています。その内容は、次の三点からなっています。1.イエスは洗礼者ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたこと。2.洗礼を受けた時、神の霊がイエスの上に降ったこと。3.天から声が聞こえたこと。これらの出来事によって、イエスの洗礼が非常に重要であり、その意味が深められています。洗礼者ヨハネの洗礼の時まで、洗礼は罪の悔い改めの印として行われました。しかし、イエスの洗礼によって、単なる悔い改めではなく、そこに神が介入されることになったのです。神がご自分の霊を注ぎ、ご自分の子であると宣言するのです。それ以降、イエスの名によって洗礼を授ける時、必ず神の働きがあるということなのです。キリスト者の洗礼は、単なる水の洗礼で、浄化する事だけではありません。キリストの名による洗礼によって、受洗した人は御父の霊を受けるのです。その霊は受洗した人の中に留まり続け、霊を宿す住まいとされるのです。受洗した人もイエスと同じように「神の子」とされるのです。わたしたち人間は、弱く罪深い者でありながらも、聖霊によって神と一つに結ばれ、神の子に与えられるあらゆる恵みを受け継ぐ者とされたのです。神、御子、そして聖霊の交わりの中で、この至福の喜びを味わうとともに、いつも神の呼びかけに応えることが、神の望みです。キリスト者にとって、この日は特別な祝日であると同時に、自分の洗礼を見つめ直す時でもあるでしょう。神さまからいただいたいのちを大切にして、他の人に伝えていかなければなりません。わたしたちは洗礼で受けたいのちを強く育てていきましょう。いただいたいのちは自分だけのものではないことをしっかり自覚しましょう。*(Ka)

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〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
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