今日は2025年の最初の日曜日です。みなさんあけましておめでとうございます。わたしは年末年始の間、デイケアーやデイサービスが休みだったので、毎日施設にいて、少し認知症の始まった人たちばかりと接していたので、ストレスが溜まってしまいました。今週からまた今までのような日常に戻れるので少し安心しています。今日の主の公現は、東方の三博士に代表されるすべての民に、主が姿を公に現されたことを意味します(マタイ2.1-12)。東方のこの学者たちは、現れた一つの星について突き止めるため、旅に出て、ベツレヘムに到着しました。彼らは「母マリアと共におられた」イエスを見出し平伏して拝み、「黄金、乳香、没薬」を捧げました。学者たちは神の現存を一人の幼子の中に認めました。彼らは幼子の前に平伏し、礼拝しました。彼は幼子のつぶらな瞳の中に天地の創造主の光を見て、人生をその追求に捧げました。わたしたちも幼子イエスを見つめ、イエスを前に黙想し、聖体のうちにイエスを礼拝しましょう。それは時間を無駄にすることではなく、時間に意味を与えることです。東方の博士たちが幼子イエスを見つめていたように、わたしたちも子どもを見つめる時間を作りましょう。わたしたちが幼子イエスの前に、子どもたちと共に留まるなら、世の中の問題を新しい創造的な眼差しをもって見つめることができるでしょう。昔、教皇フランシスコは、主の公現の主日に「神とわたしたちの御母であるマリアよ、幼子イエスと子どもたち、特に戦争と不正義に苦しむ子どもたちに対するわたしたちの愛を増してください。」と祈りました。

 イエスは「わたしは世の光である」(ヨハネ8.12)と言われました。わたしたちも世の光であるキリストの光を人々に伝えましょう。羊飼いや東方の学者たちは、飼い葉に寝かされた幼子を見たあとそこにとどまったのではなく、神をあがめながら自分たちの国に帰っていきました。わたしたちもイエスの光をあちこちにもっていかなければなりません。自分たちの家族やまわりの人たちや職場などの共同体に、キリストの光をもっていきましょう。わたしたちが人を導く星になれたらすごいことです。昔、わたしは猫を飼っていました。テレビに猫が喜びそうな動物が映った時に、猫に教えてあげようとしても、猫はテレビではなく、わたしの指さきだけを見ていて「そこじゃない」と腹が立ったことがあります。人を導くことは口先ではなく、日頃の立ち振る舞いなのだから星になることは難しいことです。*(5)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

〇 山本 孝神父ミサ説教 〇
Facebook&Instagramからもご覧になれます。

カトリック神居教会Facebook
https://www.facebook.com/kamui.Catholic/

カトリック神居教会Instagram
https://www.instagram.com/kamui_catholic/